「陰謀論などではなく単なるイデオロギーによる見解の相違」の一例

先週の日記で書いた「陰謀論と呼ばれるものは大抵の場合イデオロギーの違いにしか過ぎませんよ」の解りやすい具体例のお話。


陰謀論大好き! - maukitiの日記
あの素晴らしい中華帝国をもう一度 | 東京に住む外国人によるリレーコラム | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 それでも僕は中国に対する希望を失わない。中国が東洋の思想・美の源流だからだけではない。やはり、隣人としての中国人に対する信頼からだ。

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引用先本文で長々と彼が述べているように、彼には彼の持論がありその結果としての彼自身のイデオロギーによって、こうした結論が導かれているに過ぎない。つまり、一般に日本人には理解できない何かを信じているだけで、それは決して陰謀論などではないと。


ここで重要なのは韓国人の見解が正しくて私たち日本人の見解が間違っているとか、あるいはその逆に日本人が正しいとか、そうした「どちらかが正しい」という点ではない。
結局の所こうしたイデオロギーの違いが生み出されるのは前回日記でも書いたように、

  • (内部的な)問題を理解していない
  • システムの外に居る
  • 既得権益を共有していない

というような、言ってみれば「内と外」による物の見かたの違いでしかないから。


歴史的に見て韓国は、というより朝鮮半島は、それこそもうずっと中国の勢力圏の下にあったわけで。故に彼らは「内の人」であり、対して日本人はずっと「外の人」である。そんな内部でのみ通用する正当化の為の論理は、当然内部の人には通用するものの、しかし外部の人には通用しない。
それは中国と朝鮮半島の関係だけでなく、日本とアメリカの関係にだって当然当て嵌まる。例えば、アメリカの平和の下にある日本をして「何故日本はアメリカにべったりなんだ?」と言われそれを説明しようとしても、例えば本気の反米国家な人びとにはあまり理解されない。だってそれは私たちの立場を内部的に正当化する為の理論であり、そしてイデオロギーであるから。


中に居る彼らと外に居る私たちは見ているものが違う。
より正確に言えば、中に居る彼らと外に居る私たちは、そもそも価値観とイデオロギーが違うので、実際は同じ物を見ていても両者はお互い違う物に見えている。しばしば物質的なあるいは数量的な物でさえ見解の相違が生まれてしまうのだから、定量化できない私たちの政治的・倫理的・審美的な問題においてはもっと容易に見えているものが違ってしまう。
そんな悲しい、内に居る彼らと外に居る私たちの、お話でした。