つまり「産めよ増えよ地に満ちよ」であるからして

個人的には別に問題は無い気がするけど、まぁ色々あって大変なんだろうなぁというお話。


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バチカン市】ローマ法王庁は21日、ローマカトリック教会によるコンドーム使用禁止が絶対的ではないケースがあり得る、とした法王ベネディクト16世の発言の釈明に追われた。
 これは、今夏に行われたドイツ人記者、ペーター・ゼーバルト氏とのインタビューでの法王の発言だ。ローマ法王がこうした発言をするのは前代未聞だ。
 アフリカでのエイズウイルス(HIV)感染防止目的でコンドームを使うことに法王庁が反対していることへの批判について、ゼーバルト氏は法王に尋ねた。
 法王の答えは世界を驚かせ、ローマカトリック教会が直面する問題の1つに再び注目が集まった。一部にとって、このインタビューは、エイズの感染拡大防止に対する教会のアプローチの根本的な変化を示唆するもの。
 さらに、あらゆる状況下でのコンドームの使用を非難する教会の長い慣習からの離別を意味するものでもある。

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実際の所「世界宗教」的な性格を持つ宗教はほぼその全てにおいてタイトルのようなことを言っているわけで。それも当たり前の話ではありますよね、だってほぼそのまま直接的に、地に満ちよ=信徒の人口増=長期的な宗教影響力の増大、であるわけだから。逆説的に信徒たちに向かって「増えるな」なんて言う宗教が長期的に影響力を残せるわけがない。故に彼らは「産めよ増えよ」と言って自らの宗教の拡大を計ってきたわけだし。
その意味でかつての「姦淫するなかれ」も、上記と矛盾しない、それなりに正当性があったんですよね。
無秩序な関係による社会モラル維持の問題や、そしてもっと直接的脅威だった性病の問題があったから。かつてはそうやって悩む必要も無かった。コンドームの使用はまさに安易な姦淫を招いてしまうかもしれないけど、しかし性病のリスクは(一時期にはかつてよりは小さくなったが、再びHIVによってその脅威はまた増大した)未だに存在している。
昔はコンドームなんて無かったから、もっと単純な事を言っていれば良かった。しかし今はそうではないと。
無いなら無いで昔と同じようなことを言っていれば良かった。でも誰かが発明し商品化し一般化されてしまったから。そうした状況への対応を以ってして現代の宗教家は馬鹿ばっかりだと批判することは確かにできるけども、しかしぶっちゃけ彼らが過去の人びとよりも特別に馬鹿なわけではもちろんなくて、むしろ彼らを取り巻く環境がより複雑になってしまったからなんですよね。その意味で可哀想ではあります。こうして今回も釈明に追われてしまうわけだし。


さて置き、最終的にこの問題の落とし所はどこになるんでしょうか。まさに教義が大切なのは理解できるけども、しかし現実に合わない原理的な解釈は、一般の人びとに敬遠されてしまう理由にもなってしまうのも確実なわけで。今回の場合更に問題が複雑になるのは、そのコンドームの使用もしくは不使用という選択が実際に「産めよ増えよ地に満ちよ」という世界宗教の根本的性格にも矛盾してしまうかもしれない、というところですよね。HIVは確かに脅威であるけど、でもコンドームの普及が人口増加にブレーキを掛けるのもまた事実なわけで。(モラル的にはさて置くとして)えーいどっちやねん、という感じです。
個人的にぶっちゃけてしまえば、コンドーム使用と不使用どっちが長期的な宗教的影響力(人口)の維持、に繋がるかで意見が決定されるんではないかと思います。まさに科学的手法による検証によって。まぁそれって身も蓋もないんですけど。