現代兵士たちの悲哀

より道徳的であろうとする故に苦しむ人たち。


http://www.cnn.co.jp/usa/30001170.html

報告は、精神疾患は米国民全体の問題であるが、現役兵士の間で激増している背景にはイラクアフガニスタンの戦争による心理的損傷があると指摘。特に心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断される割合は2003年から2008年の間に6倍近く増加したという。

支援策やスクリーニング検査の導入、治療を受けやすくする軍の取り組みなども、数字を押し上げる一因となったと説明している。

http://www.cnn.co.jp/usa/30001170.html

『戦争における「人殺し」の心理学』という本で著者デーヴ・グロスマンが書いていたように、何の用意(精神的な意味でも物理的・肉体的な意味でも)もされていない普通の人が銃で敵を撃つ、という行為は恐ろしくハードルが高い。人は人を殺す行為に激しい嫌悪感を抱くのが当たり前の反応であるから。かつて第二次世界大戦での実際の戦場でのアメリカ兵の発砲率が20%程度しかなかったように。
しかしその後の訓練方法の工夫*1によって、ベトナム戦争の頃にはその戦場での発砲率が80%以上にまで上昇した。でも、だからといって、その嫌悪感が消え去るわけでは当然ないわけで。故に彼らは効率的であればあるほどその後の心理的損傷に苦しむことになる。
まぁだからこうした調査統計が出るのもある意味で当たり前のお話でもあるんですよね。
効率的な戦争、ぶっちゃけてしまえば、如何に味方を死なせずに多くの敵を倒せるかという点を考えれば、その個人個人へと掛かる負担は精神的物理的両面で増大していくし、そして兵士の「あまり死なない」という状況はこれまでそんな精神疾患によって戦死してしまっていた人たちをも生存させていくと。そんな従軍による兵士の後遺症を描いた有名な作品が映画『ランボー』だったりした。


以下、いつもの適当なお話。
2003年以降とされている現役兵士の精神疾患増加ってやっぱり、アメリカの正しい戦争・不正な戦争の議論が招いている、という面もかなりあると思うんですよね。多くの兵士たちが自らの使命感や愛国心によって戦争へと赴いていったわけだけど、ただでさえその戦場での心理的損傷は大きいのに、更にはその根本にあるはずの自らの使命感や愛国心の正当性までもが攻撃されてしまう。
私たち兵士ではない一般市民が、より道徳的であろうとして「戦争の大義」について議論すればするほど、しかし兵士たちへの心理的圧迫はひどくなっていく。勿論アメリカの戦争について批判することも賛成することも自由だし必要だとは言えるんだけど、しかしその実もっとも傷ついているのは実際の兵士たちであると。
もちろん、そうした戦場の外から本当に平和を祈っているだけであって、その末端の兵士へと攻撃しているつもりはないんでしょう。(まぁそれでも一部の過激な人たちはよく同一視していますけど)
それでもやっぱり、その議論の被害を間接的にでも受けてしまうのは、現役兵士たちの心理的損傷から防衛する為の正当性や存在意義や拠り所であると。


まさに上述の本の中で引用されているマッカーサーの言葉の通りであります。

「兵士ほど平和を祈る者は他にいない。なぜなら、戦争の傷を最も深く身に受け、その傷跡を耐え忍ばねばらないのは兵士たちだから」

私たちが平和を祈れば祈るほど、不正な戦争を暴こうとすればするほど、しかし更に兵士たちは傷を深めていく。かつてのように無条件に国家の戦争を肯定することなんて最早できはしないし、だからといって、軍隊と兵士の役割を無くすこともできない。
まぁなんというか悲しいお話ではあります。

*1:例えば射撃訓練の的を人型にしたり、FPSゲームやシミュレーターものをやらせたり