何故「最終条件交渉ゲーム」が成立しないのか

日記書こうと思ったら、元記事が消されてしまったのでお蔵入りかと思いきや復活したようなので、こちらも脱お蔵入り。


愛の日記 @ Drivemode | 搾取されないためには選択肢を増やすしかない

日本政府や日本のブラック企業に文句を言う人が多いが、政府や企業は「選択肢が少ない交渉相手に対応したフェアな取引」をしているだけだ。

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前段はともかく、最終的な結論にはかなり納得できるお話ではありますよね。まぁ仰るとおり経営学・交渉学の基本でもあります。「BATNA」(Best Alternative To a Negotiated Agreement)――「最善の代替的選択肢」という概念を持つべきであると。
つまり交渉前に「交渉が決裂した時に採ることのできる選択肢」が準備できなければ、既にその交渉は負けているも同然なんですよね。少なくとも交渉が決裂した時の備えもなしに交渉に臨んでは際限なく足元を見られるだけだ、と。


でもだからといって、そうできない人も沢山いるわけでありまして。しかし僕にはその答えを見つけることはできないので沈黙することしかできない。

合理性だけでは割り切れない感情という作用

ということで答えも出ないので、別方向から見方を変えて考えてみる。

参考: 選択肢に応じたフェアな取引とは
取引の交渉時に搾取されないためには、選択肢があることが重要。

たとえば、あなたが1億円のダイヤを持っていたとして、あなたは10分以内にそれを必ず売らなければならないとしよう。それが本物かを鑑定できるのがあなたの周りに僕しかいないとしよう。僕は一億円の価値があると知っているとして、僕はいくら提示するか?それは、必ず1円である。なぜなら、あなたには他の選択肢がないと僕は知っているからだ。よって、他の選択肢である0円に1円を足せば、取引が成立する。僕が慈善事業ではなく取引をしようとしているのなら、親切に1億円を提示する理由はまったくない。

しかし、僕の横に、もう一人鑑定できる人がいたとしたらどうなるか?そうすると、あなたには「もう一人」に売るという選択肢が生まれる。交渉力は完全にあなたに移行する。あなたは、限りなく一億円に近い価格でそのダイヤを売れるだろう。なぜなら、僕は9999万9999円で買っても利益がでるからである。

あなたが搾取されるとしたら、それがあなたの実力だからではない。あなたに選択肢がない時には、あなたの価値は限界すれすれまで低く扱われるのだ。

愛の日記 @ Drivemode | 搾取されないためには選択肢を増やすしかない

この話を見て思い出したのが、「最終条件交渉ゲーム」のお話。
上記例題の際に「あなた」と「わたし」が採るべき選択肢は、確かに合理的には「わたし」が1円を提示することが正しいとは言える。そして「あなた」は0円しか貰えないよりは1円で売ることをを選ぶはずだ、と。


で、実際にそんなことが起こりうるのか、というとあんまりそんな事ないんですよね。1億円の価値のあるものを幾ら追い込んだところで、本当にたった1円で買い取ることができる状況、というのは実はあんまりない。
「どうせ0円になるんだから俺が1円で買ってやるよ(笑)」これで本当に売る人は居るだろうか? 
「(笑)」が無かったとしても明らかに馬鹿にされ侮辱されたような選択肢を提示されたら、多くの人が、例え0円になったとしても、ふつう席を蹴る。私たちは感情という脳の働きによって、仮に0円だとしても、自分の自尊心などの感情によって経済的合理性を無視した行動を採ることの方がかなり多い。明らかに見下され馬鹿にされたり、あるいは相手を一方的に勝たせる位ならばと、自ら負けを選ぶ。合理性を超越した感情によって。1億円のものを1円で売れと言われたら殆どの人が席を蹴るだろうし、10円も100円でもそうだろう。少なくとも自分が席を蹴れば相手の取り分も0に持ち込めるのだから。
だから普通はもうちょっと色をつけて相手の感情を推し量った上で金額を提示する。そしてそのような一般的な「最終条件交渉ゲーム」においては、多くの場合で、「あなた」と「わたし」のプレイヤーは50:50の取り分で落ち着く事になる。もし片方が不満に思って席を蹴ってしまえば残りの片方の取り分も0になってしまう、その感情を突き詰めていくと、不公平な取引はお互いに拒否してしまう可能性があるから。


まぁ考えてみれば当たり前の話ではあるんですよね。そんなことをしたら無駄な恨みを買うことはほとんど必然なんだから。ヤクザな人が借金のカタだと言って何らかの資産を不当に差し押さえる場合だって、勿論それも不当に低い価格なんだけど、それだって1円なんて値段を付けることはあんまりない。
ここで考えなければいけないのはそんな、ヤクザと一般人のような、(広義の)力関係に差がある場合なんです。
つまり私たちは上記の「最終条件交渉ゲーム」において、ふつうは、50:50の取り分で落ち着く事になる。何故ならそこではプライドなどの感情によって、合意できる選択肢が限られてくるから。対等の関係においては「0よりマシなんだから1円で納得しろ」と言われて本当にやる人は、現代日本にはほとんどいない。
しかし経済的力関係や地位的階級的力関係や肉体的力関係によって、そうした状況は容易にひっくり返る。ヤクザと一般人のように。
何らかのパワーによって相手の抱く不満を強権的に抑圧する。


私たちは「最終条件交渉ゲーム」において、本来であれば自然的に、50:50の付近に落ち着く。お互い同士の合理性と感情による牽制と均衡によって。
でも現実の多くでそうならないのって結局そんな力関係の差に原因があると思うんですよね。


しかしだからといってその解消にはどうすればいいか、やっぱり僕にはその答えを見つけることはできないので沈黙することしかできない。