何故堀江貴文は嫌われるのか?

語呂が悪いので敬称略。ということで、何だかんだで皆(わざわざ言及するのが)大好きホリエモンのお話。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1596637.html
http://president.jp.reuters.com/article/2011/02/12/2CB85012-34C5-11E0-8AF4-11E73E99CD51.php
などの話から考えたお話。ポジショントークや彼のロールプレイである、という身も蓋もない話は置いといて、ならば何故彼はそこまで嫌われるのだろうか?


そういえば最近こんな話もあったそうで、
痛いニュース(ノ∀`) : 「ホリエモンの『中国や北朝鮮が脅威?日本に攻めてくるわけない!』主張に、感動した」…天木直人氏 - ライブドアブログ
ホリエモンに感動した
でもこれって別にそこまで批判されるような話でもないと思うんですよね。
そもそも、上記引用先で語られているような「中国は日本を攻めたところで経済的に利益がないので攻めてくるなんてあり得ない」と語ることについて、普段「金で幸せは買える」なんて発言をする堀江さんがそれを語るのは彼のポジションとしては、かなり正しい。常日頃から「利益を上げること」を至上命題とする彼だからこそ、その発言には一貫性があると言うしかない。だって両者はまったく同じ論理の帰結なんだから。
勿論それが正しいか正しくないか、という点については議論の分かれるところではあるんだけども、だけど少なくとも彼はとても誠実ではあるんですよね。
何故「経済的合理性は戦争を抑止する」という思想が生まれたのか - maukitiの日記
以前私の日記でも書きましたけど、そうした「情熱を利害に進化させる」というポジションは近代自由主義思想から始まったわけであります。それはつまり、私たちはより『ブルジョワ』な経済的・物質的利益を追求するべきであるという価値観。故に戦争なんて不経済な行為も当然抑止されるだろうと。
だから彼のように普段から「金儲けこそが全て」に近いようなポジションを取っていないくせに、都合のいい時だけ「経済的合理性は戦争を抑止する」なんて主張する人は矛盾しているんです。とはいってもまぁほとんどの人間は私も含め、自分の都合のいい理論を引用するし更には大抵都合のいいものしか見えないので、それを殊更に批判するのもどうかと思いますけど。
しかしそんな中数少ない彼のような堂々と一貫して表明している態度、本心かキャラ作りなのかは知りませんけど、はそれはそれで素晴らしいとも思うんです。まさにホリエモンのような人物が言うからこそ、そこに説得力は生まれる。
普段「経済的利益を最優先」にしていないくせにそれを言う人と、普段から「経済的利益を最優先」している人がそれを言うことによって生まれる説得力の差が。


ということで本題。

君と僕は似ているから

さて置き、しかしまさにそんな近代自由主義思想の祖の一人であるロックやホッブズの思想の下に生きる私たちも、やっぱりそんな自由主義的な『欲望と理性』のみで動いているわけではない。愛だったり公共心だったり誇りだったり夢だったりで動くことだってある。
つまりごく当たり前に「お金も大事だけれども、しかしそれ以外に大事なものだってある」と考えてもいるわけで。
私たちはホリエモンの言うことが全て間違っているとは思わないけれども、また同時にそんな行き過ぎた金儲け主義(と見られる態度)も違うとも考えている。そんなあからさまに経済的利害を議論する事はあまり正しい行為ではないと。しかしそれでも尚やっぱりそうした側面は現代資本主義の真理の一面でもある事実は変わらないわけで。
ホリエモンの思想にそれなりに賛成する所はあるものの、でも全面的に同意するわけにもいかない。結局の所、タイトルの答えってここにあると思うんです。


私たちはホリエモンとある程度までは同じ思想を持っていて、しかしだからこそ、敢えてそんな行き過ぎた彼とは違う部分を強調しなければならない。そうした違いを強調し、そして彼の間違った部分を批判しなければ、彼と同類と見られてしまうから。
もし全く異質の人物だったらわざわざそんなことをするまでもなかったけれども、私たちは彼と似ているから。だから感情的になってその「違い」を協調しなければいけないとの思いに駆られてしまうのではないかと思うんです。
故に、彼を批判する際に余計に熱が入ってしまう。彼をまったく理解できないからではなくて、それなりに同意してしまいそうになるから。彼はまさに私たちの中にもあるあまり目を向けたくない部分こそを、あけすけに前面に押し出して過ぎてしまっているから。