かつて名誉や栄光を求めてバカなことをしていた私たちへ

「神が死んだ」後ふたたびそこへ戻ってしまうのか。やっぱり今こそ人類補完計画なんだなって。



カズオ・イシグロが語る「AIが生む哲学的格差」 | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
カズオ・イシグロさんによる大変面白いお話。
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当日記でも大分昔からちょくちょく書いてきたテーマではあります。
「働くために生きている」に反論しようとするとき、ならば私たちはそこに代案を提示することができるだろうか。
労働教信者である私たちに、神が死んだとニーチェられても困ってしまうよね。




そんな私たちの文化・価値観・良識・規範に、特異点を越えたAI社会がやってきたときどのような変化がもたらされるのか、について。

格差は貧富間だけでなく、働ける人と、働けない人の間にも存在するようになります。これは、社会に貢献できる人と、社会に貢献できない人という、より哲学的な格差につながるでしょう。人間にとって大きな脅威です。

そうなったとき、はたして人は自らの価値をどう測るのか。企業で働くといった古いスタイルの社会貢献が奪われてしまったとき、どうやって社会に貢献をしていったらいいのか……。AIの台頭は、人々が仕事を失われた後、どうなるのかという大きな問題を抱えていると思います。

カズオ・イシグロが語る「AIが生む哲学的格差」 | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

現代社会に生きる私たちの多くのは「働く」ことで自身の尊厳を確認する。働いてこそ社会の一員たりうるのである。
ニートや無職に厳しい目を向ける私たちの態度というのは、その逆説的な証明そのものでしょう。
生活保護に生きる価値無し、なんて。
それは相手を「対等の人間と認めていない」という人種差別問題の根幹にもある蔑視である。


こうした価値観や文化の元に生きている私たちにとって、仕事が無いのが普通である、という社会がやってきたときどうなるかというのはとっても興味深くそしておっそろしい思考実験だよなあと。
何か仕事をしようとしても、極一部のエリートが作り出したAIの方がずっと上手く――コストさえ考えなければそういう次元に足を踏み入れつつある――できる以上、凡庸で何のタレントも持たない大多数の我々にとって勝負できるのはその安さしかなくなっていく。


私たち人間は、自らの価値を下げ安売りすることで、どうにか「仕事」をしていくのか。
それとも仕事ではない、何か別の営みによって尊厳を得られるようになるのだろうか。


いつか将来後者が実現できる日がやってくるかもしれないと楽観はできるものの、
しかしそれまでの間は、前者の選択肢によって悲壮な安売り競争によって自らの価値を摩耗させていく可能性が高い。
――それは生きていくための賃金という意味でもそうだし、そして社会にとって無価値な人間になっていく尊厳喪失を回避するという意味でも。


前者についてはベーシックインカムな政策が解決してくれるんですよ。
(だからこそ当日記ではずっとBI賛成派でもある)
しかし後者についてはベーシックインカムでも解決できない問題でしょう。
(その点からベーシックインカムに反対する、という意見には一理ある)
生きていくだけの収入があるだけじゃダメなんですよ。
仕事というのは我々に収入だけでなく、自身に価値があるという尊厳をも提供してくれているから。
『見えない人間』を見る気のない人間 - maukitiの日記
しかし我々に仕事が無くなり、そして、そうやって社会から『見えない人間』扱いされる人たち増え一体どうなっていくかというと……。



仕事以外に『尊厳』と『名誉』の為にどのように生きれば良いのだろうか。
この哲学的な問いって、歴史が逆回転しているようでとっても面白いと思うんですよね。

そもそも論をすれば、近代自由主義とはこうした『優越願望』『名誉』『栄光』『認知への欲望』といった人間がアプリオリに持つ性質を如何にして平和的に克服するか、という思想であり社会変革構想でもあったわけですよね。
その結実の一つが、共和制=民主主義制度=権力分立による政治支配的野心の制度的均衡抑制であり、そして社会の近代化とはつまりブルジョワ的価値観の普及=名誉よりも金と物質的満足を目指そうぜ、というモノだった。ちなみにフクヤマ先生の『歴史の終わり』とはこうした気概や誇りといった性質が、現代社会では「完全に」顧みられなくなったのだ、という点をして彼はリベラルな民主主義が歴史を倫理的に終わらせたのだ、と述べているのでした。

グローバル版多文化主義の未来 - maukitiの日記

名誉や気概を近代自由主義的価値観に進歩したはずの我々が、再びそれ以前の世界に戻ろうとしているのは歴史の韻を踏んでる感あるよなあと。


例えば、国の20%しか働けなくなったとき、どうしたらいいのか、という問いに対しては、多くの人が答えを出していますが、いまだに説得力のあるものを聞いたことはありません。私たちの大半はずっと「誰もが働かなければいけない」という考えのもとに成長してきましたが、このこと自体を根本的に考え直さなければいけなくなるのです。私たちが生き方を完全に見直さないかぎり、暴力や戦争、あるいはひどい貧困が起きる危険性があります。

カズオ・イシグロが語る「AIが生む哲学的格差」 | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

私たちは再び、あるいは過去よりもずっと強く、名誉や栄光こそを求めて生きていく世界にたどり着いてしまうのかもしれない。
あるいは何か別のモノを求めることができるのだろうか。
今も尚、「働くことこそ生きがいである」と労働教を信じ生きている私たちの、根本的に仕事が無くなってしまいそうな「AI以後」な社会について。


みなさんはいかがお考えでしょうか?