「違法」じゃないし「正当」なんだけど・・・・・・

でも肝心の「やる気」と「勝算」がない、なお話。


http://jp.wsj.com/World/Europe/node_204414
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端的に見れば、カダフィさんの大反攻からベンガジ陥落のそのギリギリまで待つことによって、国際社会は『人道的介入』と『国連安保理決議』という鉄板のカードを手に入れることができたわけであります。いやー素晴らしいお話ですよね。かつてのユーゴスラビアでは「違法であるが正当である」なんてことが語られたりしましたけど、そうした過去の事例から学ぶ事によって、今回はその両方を手に入れることができたと。やったね!
そんな今回のリビアの反体制側のように、ギリギリまで見捨てておく事を「人類の知恵」というのはまぁ確かに悲しすぎるお話ではありますけど。


さて置き、じゃあ違法でもないし正当でもある今回のリビアの戦争が、何の問題もないかというとそうでもないわけで。
どう見てもアメリカさんやる気ありませんよね。これはこれでおそらく「アメリカはリビア国民を見捨てるのか」とか言われてしまうんでしょう。しかしだからといって、やる気を出したら出したでいつものように「アメリカ主導だ」とか「アメリカ帝国主義」とか批判されてしまうので、まぁなんというか超大国って大変だよなぁと暖かい気持ちになります。
中でもやる気がないのがアメリカ軍部さんそのものありまして。それも解らなくはないですよね。だって結局の所、空爆だけじゃ何も止められないんだから。「地上占領軍の派遣はしない」なんて決議に付けていましたけど、でもそれだけじゃどう見ても泥沼フラグにしかならないわけで。


昨日の日記でも触れましたけど、マイケル・ウォルツァー先生*1コソボ紛争を例に挙げて「空爆じゃマジ意味ないから」と仰っています。
その著書『戦争を論ずる』の中で、カミュの『反抗的人間』から「ひとつの命はひとつの命で支払わなければならない。そしてこのような二つの犠牲から一つの価値が生じてくるのだ」という言葉を引用して、リスクなき武力介入の一つの形である空爆の失敗を説いています。そうした『リスクなき介入』は結局の所、コソボが証明したように*2地上で起きている虐殺を止めることができないのだと。他者を助ける為にはリスク(地上で戦うこと)が必要であると。


ともあれ、そうした躊躇は、オバマさんの「指導力」によって押し切られた。いやぁすばらしいです。人間の歴史はいつだって『覇権主義』と同じ位『人道的介入』が戦争の理由になってきたのも頷けますよね。


あともう一つ「勝算」がどうも見えないのが、カダフィさん排除したあとその後どうすんの? という辺り。
革命家だったカダフィさんが、ぶっちゃけ文字通り何もなかった、かつての(半ば分裂状態な)リビアを強権によって一つにまとめ、それなにり近代化させたのは事実でありまして。だからもしカダフィさんの排除までを目的とするのならば「大カダフィ」ならぬ「小カダフィ」を用意しなければ内戦状態になってしまう。
そう考えると前述の中途半端な空爆と合わせて、英仏など欧州諸国の目指す所は、カダフィさんの妥協・あるいは自発的退陣を目指しているのかなぁと思います。なんとも温いお話ではありますけど。カダフィさんのあの役者っぷりからするとそれもそこまで理解できない話ではないんじゃないかなと。
でもそんな中途半端な結末ってどう見ても第一次湾岸戦争フラグなんですよね。

*1:アメリカ合衆国の政治哲学者マイケル・ウォルツァー - Wikipedia

*2:彼は他にも、ボスニアルワンダ東ティモールシエラレオネなどでも同様だった、と書いている。