カダフィとフセインと金正日、なぜ差がついたのか?

慢心、環境の違い
そんな言葉で語るのはなんともアレで、故に元ネタでは馬鹿丸出しと批判された*1わけです。でも今回の場合、実はかなりの部分それで正しいんじゃないかって思うんです日記。ええ、タイトルオチです。


リビア政権「政治改革に向けた交渉の用意ある」、カダフィ大佐退陣は拒絶 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで日本では色々あった間にも、リビアでは連日ワーワーやっております*2が、これってなんというかイラク戦争のときのアレや、私たち日本のすぐ近くにある国のことを考えると、微妙に気の抜けるお話だとは思うんです。
もちろんその虐殺などの蛮行に対する建前としては「どちらが上か下かと言うこと自体おかしい」ということはできるんだけれども、でもカダフィさんのそれって例えば後者の二人に較べて特別にヒドイかっていうとそうでもないですよね。ぶっちゃけ殺した量だけで言えばよっぽど後者の方が殺している。
なのに、こうしてリビア空爆は許容され、イラク戦争ではアメリカの暴走と批判され、金正日は今も元気にやっている。


ここで言いたいことは別に「だからリビア空爆するべきではない」とか「だからアメリカのイラク戦争は正しかった」とか「だから北朝鮮は崩壊するべき」とか言いたいわけではないんです。
カダフィフセイン金正日、なぜ差がついたのか?
ということを考えた場合、結局の所、その蛮行の程度の差によってそれが導かれたわけではない。じゃあ何がそれを決めたのかってやっぱりそれは私たちの大好きな『国際世論』でしかない。何が白で何が黒なのかは国際世論こそが決める、まぁ確かに今更な結論ですけど実際そうとしか言い様がありませんよね。
「黒を白」とまたは「白を黒」とするほどの能力は最早ないけれども、しかしそれでも「どの灰色が白」で「どの灰色が黒」なのかを決める能力は未だに持っている。いやー国際世論っておっそろしいですよね。


主にヨーロッパに近いから、という理由でこうしてリビア空爆は賛成された。それは難民対策だったり伝統的な利権・影響力の確保の為だったり、あるいは人権の名の下に。
それってやっぱり未だに世界(国際世論)の中心がヨーロッパにあるという証明でもあると思うんです。まぁそれがいつまで続くかは解りませんけど。そんなヨーロッパを「傲慢である」というよりはむしろ、かつてそれを求めて失敗し現在は半ば諦めてもいる日本にとって、単純に「うらやましいなぁ」と思ってしまいます。
もし仮に北朝鮮フセインイラクがもう少し近くにあったらあっさり潰されてたんだろうなぁと考えると、やっぱりそれはアメリカの持つそれとは別の、ヨーロッパの『パワー』の一つなんでしょう。それをソフトパワーなんて言うとナイ教授*3に助走をつけて殴られてしまいそうですけど。


あいつはヨーロッパに近すぎたんだ。

*1:2ちゃんねるで「○○と○○なぜ差が付いたか 慢心、環境の違い」とい... - Yahoo!知恵袋

*2:戦争(war)だけにね!

*3:ハード・パワー(典型的には軍事力や埋蔵資源など)ではないソフト・パワー(政治力、文化的影響力など)という概念の提唱者ジョセフ・ナイ - Wikipedia