ビンラディンさんの死とアラブの春

あまり語れるようなこともないので一度触れただけでスルーしてきたお話ではあるんですけども、そんなビンラディンさんの死亡と影響について。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/7006
実際今回のビンラディンさんの殺害に関して「何か意味があるのか?」と聞いた場合に、まぁ大して意味があることは言えないと思うんですよね。アメリカ自身にとっては、以前の日記で触れたような「復讐の完遂」、という意味は勿論あるんだろうけど、でもアメリカ以外の国の人にとってはそれさえもないわけで。
だからやっぱり、アメリカがああして歓喜しながらも他の国々は淡々と見ている、そんな両端な構図になってしまうと。当事者と当事者でない人たち。

 アラブ世界の政変は、穏やかにも一足飛びにも進まないだろう。確実に悪化するところもあるだろうし、イスラム強硬派に屈するところも出てくるかもしれない。

 それでもなお、アラブの春のおかげで、イスラム教は、信仰生活と市民生活が共存できる制度を確立するために改めて政治に関わるという、この数世代の中でも最良の好機を迎えている。そのことは、普遍的なイスラム闘争というビンラディン氏のイデオロギーに対する痛烈な反駁となる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/7006

さて置き、それでは何の意味もないか、と言われればそうでもないわけで。
現在の所謂『アラブの春』に明確な不可逆性を付与した、という位の意味はあるのかなぁと思います。もうかつての「あの馬鹿らしいやり方」は終わったのだと。
つまるところ、以前あった彼らアルカイダのようなテロリズムも、『アラブの春』も根源というか衝動は同じ所から来ているんですよね。それは現在の生活に対する不満という感情によって。
それをかつて「ならば反欧米だ!」と吸い上げたのが彼らの国際的なテロリズムであって、でもやっぱりそれで彼ら自身の生活が変わるなんてことは当たり前のことながら、なかった。自分の生活に不満があるのならば、まず第一義的に努力すべきなのはその自らの政権に対してであって、何故か一足飛びに「世界が悪い!」的な発想に向かってしまったという黒歴史的なお話。
そんな黒歴史に較べたら現在の『アラブの春』はまぁいくらかはマシなんでしょう。
そんな黒歴史は現実に衰退し、そして今回ビンラディンさんはやっぱりこうして敗北した。もうあの馬鹿げたやり方が通用する時代は終わったのだというメッセージに、まぁ少しは貢献したんじゃないかと個人的に思います。おつかれさまアメリカ、という感じです。

わずか数発の銃弾で事足りた。しかし、5月2日未明にイスラマバードにほど近い要塞のような隠れ家でウサマ・ビンラディンを殺した銃弾が発射されるまでには、 15年にわたる根気強い追跡と、イラクアフガニスタンにおける2つの長い戦争、1兆ドルを優に超す出費、そしておよそ15万人の死があった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/7006

しかしそのわずかばかりの対価に対して、支払ったのがこうした「膨大な代償」というのは、まぁなんとも悲しいお話ではありますけど。