(そもそも民主主義は)甘やかされなければ生き残れない

逆から言うと「甘やかすとロクでもないことになる」というひたすら笑えないお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41971
タイトルはどうかと思いますけども、でも民主化運動の歴史や政治発展の理論を見るとまさにその通りなんですよね。民主主義は、まず甘やかされなければ発展していかないし、そしてその甘やかされている間の経験こそがその後に生きることになる。

 民主主義を支持するという点で、香港の大物実業家の中ではユニークな存在のメディア王、黎智英氏は、香港の子供たちは「エリートの中のエリート」であり、「甘やかされた子供」だと言う。だが、「全世界がこのような駄々っ子を持ちたいと願っているはずだ」と黎氏は付け加える。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41971

先日の日記でも少し書きましたけど、概ね正しい認識だよねぇと。まさに権力者が『駄々っ子』を許容しなければ、そもそも駄々をこねることさえできない。古今東西の歴史が教えてくれるように、基本的に民主化運動なんて「甘やかされなければ」生まれないんですよ。
セルビアグルジアウクライナ、最近のエジプトでもそうだったように、特に『弱い』独裁政権民主化運動によって揺るがされる事例の多くが「不正な選挙への異議申し立て」を受けて始まったのはやっぱり覚えておくべきなのでしょう。そこに選挙という大前提と突破口があるからこそ、人びとは不満を覚え希望を見出すことが可能となる。
更に言えば、こうした不完全ながらも民主主義政治の経験――ある程度自由な活動を許された市民・社会団体の存在が、その革命後にやってくる民主主義政治の移行に際し安定性を確保するという点で生きるんですよね。逆にそれすらなく、イラクアフガニスタンのように、いきなり民主主義をやろうとしてもまぁ大抵の場合以前見た権力者が再生産されるだけの大失敗となる。
あの『アラブの春』なんかも基本的にはこうした前例とほぼ同じ構図だったわけで。徹底的な強権を振るえる独裁政権「ではない」国家こそが、政権瓦解という大混乱にまで至ってしまった。



その意味で言えば、もともと香港のそれはとっても「危うい」システムではあるんですよね。なまじ「自由が認められた」「甘やかされた」からこそ、その選挙制度に不満を持つことことができてしまうから。それこそ中国本土のように、初めから知らなければそんなこと思いもしなかったのにね。しかし甘やかされていた彼らはそこに自由の萌芽を見てしまった。
香港デモ隊の要求は断固拒絶、中国政府が方針決定=関係筋| Reuters
こうした構図を考えると、中国政府の中の人たちが絶対に妥協しないと宣言しているのは、まぁ理屈としては解るお話ですよね。彼らは別に香港の不満を高めようとそうしているわけじゃないんですよ。それこそ本気で香港の不満を「根本的に無くす為にこそ」その民主化度合いを減らそうとしている。
甘やかすのをやめさえすれば、彼らは大人しくなるだろう、なんて。
そして、おそらく、(天安門のような致命的な事件にさえならなければ)彼らのやり方は既存秩序維持という目的からすれば、その手段は正しいと言える。


がんばれ香港。