その正しさは成功を担保しない

先日日記で取り上げた記事の日本語訳が出てたので。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13125
FT本家は登録しないと見れないし、どうせなら待ってから書けば良かったんですけど、あまりにも心に響いたので先走ってしまいました。


ともあれ、折角なのでもう少し追記。

 だが、ここには皮肉がある。欧州が今競争しなければならない新たな大国は、EUポストモダニズムに確信を抱いたことは一度もないのだ。
 自らの主権を決して失うまいとする中国、インド、ブラジルその他の新興国は、ヴェストファーレン体制の方がはるかにいいと思っている。こうした国々のモデルは、ローマ条約ではなく、1648年の条約なのである。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13125

そうなんですよねー。結局の所、欧州が失敗すればするほど、彼らの理想は世界から忘れ去られていく。だって次世代のメインプレイヤーとなるであろう中国もインドもブラジルも、欧州の『主権の共有』というそうしたポストモダニズムにはまったく魅力を感じて居ないんだから。彼らがどんなに頑張った所で、しかし結局それで競争に勝てないのならば誰の同意も得られない。
勿論そうした欧州の精神は、実行コストはさて置くとして、かなりの部分まで正しいと同意できる話ではあります。
しかし正しいからと言って必ずそれが勝利できるのかというと、そうではありませんよね。いつだって「勝利(も)したからこそ正しい」のであって、必ずしも「正しいからこそ勝利する」わけではない。

最初で(事実上)最後の挑戦者

少し脱線して、この議論って最近の原発是非の議論でも似たような構図なのかなぁと思います。
つまるところ、やっぱり上記のような中国もインドもブラジルなど新興国のほぼ全てで、原発計画はほとんど揺らぐことなく続いている。たしかに『脱原発』することは多分正しいのだろうけれど、しかし正しいから実行に移されるのかというと、悲しいことにやっぱりそうならない。


「もしかしたら競争に負けるかもしれないけど『正しい』のだから挑戦するべきだ」というのは確かに美しいお話ではあります。しかしそれに敗れてしまっては、誰も後には続いてはくれないんですよね。そんなもの自己満足でしかない。

「(原子力から再生可能エネルギーへの)移行は可能だという先例と、その方法を示す歴史的なチャンスだ」とビートルは言う。「国家としての競争力を損なわず、経済成長の妨げにならずに実現することは可能なのか? 堅調な成長を減速させたくないと考える中国やインドなどの新興国にとっては重要な問題だ。もしわれわれが失敗したら、誰が同じ道を進もうとするだろう。失敗すれば世界レベルで悪影響をもたらす」

ドイツの「脱原発」実験は成功するか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

人柱が出てきたよ、やったね! - maukitiの日記でも引用したお話ではありますけど、やっぱりそういうことなのかなぁと思うんですよね。
「もしわれわれが失敗したら、誰が同じ道を進もうとするだろう」
おそらくそうなんでしょう。ドイツが失敗したら「再生可能エネルギーへの移行」など誰もが無理だと思うでしょう。欧州連合が失敗したら「主権の共有」など誰もが無理だと思うでしょう。


それなのに気軽に、『正しい』のだから挑戦するべきだ、なんてとても言えない。その正しさは成功を担保するものでは、決してないのだから。そして失敗するということは、信用を失うということなのだから。