主権の共有先が見つからない

国家主権は失われつつあるものの、しかし、真の問題はその代替が見つからないことにある。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37971
まぁ伝統的な議論ではありますよね。「21世紀の世界秩序は国家主権に基づくべき」なのか、それとも「21世紀の世界秩序は国際協力に基づくべき」なのか。

 この相互依存は、小国のみならず、大国にとっても避けられない現実だ。国家のムードは変わったかもしれないが、グローバル化の事実は変わっていない。どちらかと言えば、国家権力が非国家主体へと拡散する動きは加速した。

 高齢化が進み、世界経済に占める割合が急激に低下する大陸として、欧州は自分たちの価値観と利益を守るために一体となって行動しなければならない。中国は、気候変動の荒廃や、開かれた市場と世界的な供給ルートへの脅威に非常に脆い。米国は、比較的自給自足が成り立っているにしても、自国の繁栄と安全保障に対する遠くの脅威を避けられない。

 我々の元に残された矛盾は、国家主権が大いに尊ばれる一方で、行動する能力と厳密に定義した場合、主権が次第に効果を失っている世界だ。世界の国々は、古い秩序を新しい取り決めに改め、国家の目標だけでなく共通の目標を認めることに、避けられない利害を共有している。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37971

まぁ言っていることには賛成であります。最早現代世界において(伝統的な)国家主権は幻想となりつつある。様々な技術進歩によって各国を致命的に分けていた『距離』が消失した世界=グローバル化したことが大きな要因だったりするのでしょう。故に最早ただ一国内で解決できるような単純な問題は消え去りつつある以上、問題解決のためには多国間で協力していかねばならない。
つまり、国家主権ばかり追い求めるのは幻想だ。Q.E.D
――おそらくその通りなんでしょうけども、ただ、微妙に議論が足りていないなぁとも思うんですよね。


多くの人にとって、別にそこまでならば異論は無いと思うんですよ。問題はもう一歩先にあって、ならばかつての国家主権を委託するような『国際機関』をどうやって構築するのか? 果たしてそれはどこまで実効力と正統性があるモノなのか?
結局、ここでコケているからこそ、国家主権主義者のような人たちの復活を許してしまっている、あるいは加速させてしまっているわけで。原因と結果についての認識が逆転してはいけないよなぁと。そもそもの問題はまずその適切な代替機関を用意できない点があって、だからこそ現状の「幻想」が広まる一助となってしまっている方が強いんじゃないかと個人的には思います。
単純に国家主権への幻想が強まったから、国際協力の機運が低下したから、というだけではなくてむしろ国際ルールの瑕疵がいつまで経っても修正できないからこそこんな状況になっている。


欧州連合なんてその典型だと思うんですよね。その失敗が結局国家主義者を勢いづけてしまっている現状。もちろん理念だけでやっていくことも必要だとは思います。勢いだけでやってしまえば、現実は後から着いてくるだろうと。しかし、そんな善意だけではいつか――それこそ現状のヨーロッパのように――破綻してしまうのは目に見えているわけで。
「主権の共有」という理念自体はいいとして、しかしその受け皿となるだけの国際協力機関・ルールを作り出せない私たち。まぁその失敗の要因について「国家主権の幻想に囚われている人が多いからだ!」とするお話も理解できなくはありませんが、しかし因果としては逆のほうが大きいのではないかと思う次第であります。

 国が抱える国内問題を「部外者」――それが移民であれ、ブリュッセルの官僚であれ――のせいにすることほど容易なことはない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37971

と上記リンク先で書いているのはとても皮肉なお話であります。転じて「国際機関が抱える問題を「反対者」のせいにすることほど容易ではない」なんて言えてしまいそうですよね。
実際、欧州連合にしても、国連にしても、やっぱり「主権の共有」を完全に実現させるだけの奥行きがあるとはまったく言えませんよね。その受け皿に対する絶望こそが、幻想への回帰という現状を招いているのではないかなぁと。それも反対者が居るから改革が進まないのだ、とも言えるんですけど。


ならばどうやったらその、実効性と正統性を兼ね備えた国際的な『制度』を生み出すことができるのか、と言われると困ってしまいますが。
反対者が多いから改革が進まないのか、それとも改革が進まないから反対者は減らないのか。いつもの鶏と卵オチ。