なぜtwitterに馬鹿が多く見えるのか? その2

いけいけぼくらのtwitter。濃縮装置としてのtwitterなお話。前回言っていた僕のたわ事は忘れてください。


「東電がついに白状。この夏電気は余ってる!」のツイートに対する反応 - Togetter
twitterはすごいなぁ。
ていうか周りの人は誰か止めないんだろうか、と考えると、多分周囲に誰も止める人が居ないからこうなってるんじゃないかって思うんですよね。そんな風に水をさす発言を彼ら自身が元々望んでいない。そう考えると、昨今のバカ発見器なtwitterの状況は、フォローとブロックというシステムによる『閉鎖環境』下での思想の過激化とか純化とかそういうありがちなオチになるのかなぁと考えました日記。



よく「見たいものしか見ようとしない」なんて揶揄されることがありますけど、現実にやるにはすごいハードル高いんですよね。
目を閉じても耳を塞いでも、自分に都合の悪い話「だけ」を無かったことにするにはすごい大変なわけです。現実にはそんな都合のいい峻別機能は私たちには本来装備されてはいないんだから。仮に何かを聞かないようにすれば、他のものも一緒に聞こえなくなってしまう。当たり前ですよね。


もしそれを人工的に作ろうとするならば、多大なコストを掛けて自分に都合のいい社会集団から生み出さなければならない。

彼らは純化・濃縮されている

しかし一旦それに成功してしまえば、その内部ではまさに現実の認識をも変えてしまうほどの圧倒的な影響力を持つんです。そこでは、私たちにとっての健全さが彼らにとっての無知の証明になり、彼らにとっての健全さが私たちにとっての無知の証明となる。故に古今東西様々な事例において、閉鎖環境下ではその価値観や行動の先鋭化がより進んできたわけです。


こうしたことが、一部のネット社会ではより簡単に達成できるんですよね。
かつてのmixiなどSNS等にはそうした機能が備わっていた。自分にとって都合のいい人だけを招待し馴れ合いを続けられる。同様にそうしたことの極致としてtwitterのフォローとブロックのシステムがあると個人的に思うんです。
彼らはまさにそこにある種の理想郷を築きあげている。自分にとって都合のいい話だけを聞いていられる世界。彼らのその価値観や信仰は、批判や反対意見に出会うこともなく、延々と濃縮されていく。そうして出来上がったのが『バカ発見器』なんて揶揄されるtwitterの現状なんじゃないかと。


つまるところ、彼らは初めからバカだったわけでも、あるいはそのユーザーにバカが特別に多かったわけでもなくて、彼らは進化すべくしてバカに進化した。あるいは退化した。
自分にとって気持ちのいい話だけを聞いていられるシステム。その内部循環において彼らの純度は限りなく高められ、何かのはずみで外に漏れてしまった時、それを見た外部の人からはなんというかもうガッカリな事態になってしまうと。
かつてのSNS等でもやっぱり濃縮され純度が高まる事態は当然あったんだけれども、しかしあの時は、それが外に漏れるということがほとんどなかったんですよね。実際中を見たら今のtwitter以上にバカ製造機だった。しかしそれでも、高濃度や高純度なアレが外に溢れてしまうようなことはほとんどなかった。良かった。本当に良かった。
しかし両者にとって悲しいことにtwitterにはそんな封印装置さえはじめからない。


封印装置はないくせに、しかしフォローとブロックによる濃縮装置だけはしっかり働いている。一体何の冗談だよってお話ですよね。
まぁ半透膜の作用からすれば、常に濃度の高い方から低い方へ一方的に流れるので当然の帰結とも言えるんですけど。