『既知の外』では許されない

犯人探しのお話。ヘイトスピーチですらないもの。あるいは私たちの生存戦略


ノルウェーで爆発と銃撃、ノルウェー人容疑者を逮捕 写真15枚 国際ニュース:AFPBB News
ノルウェー爆発・銃乱射事件、容疑者は「キリスト教原理主義者」 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
なんかすごい盛り上がってたあれ。おっそろしい話ではあります。

 ある警察幹部によると、逮捕された容疑者(32)は、インターネット上に自分は「民族的」にはノルウェー人で「キリスト教原理主義者」であり、政治的には「右寄り」だと投稿していた。警察は容疑者の身元については明らかにしていないが、現地メディアは容疑者の氏名をアンネシュ・ベーリング・ブレイビク(Anders Behring Breivik)と報じている。

ノルウェー爆発・銃乱射事件、容疑者は「キリスト教原理主義者」 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

へーという感じです。へー。まったく意味が解りませんよね。
こうした事件があったからといって宗教的な原理主義や政治的に右寄りな人が究極的にこうした犯罪に至ってしまうのかというと、そんなことは全くありえないのでやっぱりこの人個人の『異常性』という所に帰結してしまうんじゃないでしょうか。ぶっちゃければ頭おかしい人びと。極小確率でありながら、しかし常に社会の中にその「例外」が存在している。
といっても公的にはそんなこと口が裂けても言えないわけなんですよね。
だってそんなことを日常的に想定していたら恐ろしすぎるから。ランダムに発生する異常者の犯罪を防ぎようがないと認めてしまうことになるから。ついでに外聞という要素もあります。
故に私たちは彼の犯行をそのイデオロギーや、あるいは「ゲーム脳(笑)」に求めてしまうわけではあります。それはよくある興味本位な犯人探しという訳ではなくてもっと切実なもの。(端から見れば)大した理由もなく大量殺人に至ってしまう人の存在を認めることは、私たちの社会の最低限にあるはずの道徳や倫理や理性が存在しないことの証左ともなってしまうから。
自分の隣人が何の脈絡もなく殺人を犯す、なんてことを常に想定しながら生きてはいけない。


ということで当初言われていたイスラム原理主義者説などを含め、やっぱりヘイトスピーチでさえないと思うわけです。
極右や極左や宗教原理主義者たち、あるいはゲーム脳がその原因として挙げられてしまうのは別にそれらが特別に嫌われているわけではなくて、もっと単純にその犯行が「理解不能」では許されないからこそ、私たちの理解できるような範囲でラベリングを行なっているに過ぎない。それは攻撃的な反応ではなくて、むしろ防御的な反応であると。まぁ槍玉に挙げられた各思想やゲームは良い迷惑な話ではありますけど。