近すぎてこわい

国家のようなマクロな集団からミクロな個人にまで通じる普遍的な感情ではありますよね。昔戦った隣国は今でも怖いし、あるいはヤクザの事務所や性犯罪者が近くに住んでいたらほぼ無条件で私たちは恐怖を覚える。そんな論理を超越するもの。


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 近隣諸国は中国の歴史と文化を十分認識している。だからこそ中国に不信感を抱き、過去60年そうであったように、今後も米国が地域的平和を保障する役割を担い続けることを望んでいる。

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まぁそういうことなんだろうなぁとは思います。私たち中国近隣諸国は「理解しているからこそ」彼らを恐れるのだと。よく、相互理解が深まれば平和共存がなされる、なんて言う人が居ますけれども、しかし実際にはまったく逆なことも起こりうる。理解すればするほど、警戒をせざるをえなくなってしまう。だからといって知らないままのほうがいいなんて絶対に言えませんけど。
もちろん日本をはじめとする中国近隣諸国は、当然その中国からプラスの影響だって受けてきたわけでもあります。文化や経済などで。しかしそれと同じくらいマイナスの影響だって同時に受けてきた。地政学な問題などで。
これら両者の内どちらか一方を無かったかのように語るのは誠実ではありませんよね。それは決してマイナスだけではなかったし、だからといってプラスの影響だけあったわけでも絶対になかった。


まぁこれって当然中国さん相手の話だけじゃない。有名どころではヨーロッパ、特に東欧のロシア警戒はそれはもうすごいものがあるわけで。
彼らは正しく近いからこそロシアを恐れている。私たちからすれば枯れたロシアより中国の方が当然恐ろしいと思っているけれども、しかし近くに住む彼らにはそんな論理は通用しない。また逆に(私たち日本はともかくとしても)そんな東南アジア諸国などが中国よりロシアを恐れる事があるかというとそんなことがあるわけない。だって彼らは遠いから。


ともあれ、そんな「近すぎてこわい」は確かにかなりの部分まで正しいわけでもあります。
だってもしその『何か』が起きた時、真っ先に悪影響を被るのは近くに住んでいる私たちなんだから。故に私たちはその近さを恐れずにはいられない。そうして私たちはマクロにしろミクロにしろ同様に叫ぶのであります。「近すぎてこわい」と。