『京都議定書』という現代における国際的不和の象徴

名実共にそんな不名誉な属性を獲得しつつある、かつて一部の人びとが夢を見たはずの京都議定書の末路。



COP17:ポスト京都議定書の枠組み採択絶望的に - 毎日jp(毎日新聞)
EU 京都議定書延長を容認へ NHKニュース
まぁ当初から言われてきたことではありますよね。つまるところ京都議定書では実質的には何の解決にもならない。確かにその通りではあるんです。しかしそれでも尚この国際条約は、私たちが『地球温暖化』という途方もない問題に前向きに取り組んでいることを証明する為の象徴でもありました。私たちはこうして努力しているのだということの(内実はともかくとしての)自己証明。だからこそ多くの人びとはただの名目と知りつつも、こうして京都議定書にこだわり続けてきたわけです。
そんな名前だけの存在でしかなかった京都議定書を何とか実体も伴わせようとしてこれまでもずっと努力が重ねられてきました。しかしそうしたポスト京都議定書は、まぁまったく進むことはなかったんです。だって誰もが納得できる妥協なんてできなかったから。
地球温暖化問題」それどころじゃなかった人たち。そんなこと気にするよりももっと重要なことが他にあった人たち。そうした(アメリカや中国をはじめとする)人たちを浅薄で無責任だというのは確かに正しいのだけれども、しかし私たち日本だって福島原発事故以来「それどころじゃなくなった」仲間入りを果たしたので、そんな彼らのことを殊更に批判はできませんよね。短期的に温暖化ガスの排出量が増えようが、それでも目先の安全の方が大事だったんだから。その意味で私たちはようやく彼らと同じ目線に立つことになった。そしていつか見たようにこう叫ぶわけです、「京都議定書は論外だ」と。


その意味で現在の京都議定書が持つ意味とは、かつてのポジティブな「努力しようとする決意の現われ」といったような意味では最早なくなってしまったんですよね。それが足がかりとなって進歩することもなくただ棚ざらしにされ続け、進むことも戻ることもできなくなってしまった。それは今では地球温暖化問題が解決に向かいそうにないことの象徴となってしまっているのです。その最も典型的な事例として。失敗の歴史の一つとして。


「なぜ地球温暖化対策が進まないのか?」
「そりゃ京都議定書を見れば一目瞭然じゃないですか」