ゼンショーの防犯体制から見る『安全の値段』の理想と現実

乖離する理想と現実なお話。


警察庁が指導、「すき家」ゼンショーの経営姿勢 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
昨日も書いたんですけど、当然のことながら、彼らだってまったくの「無対策」というわけでもないんですよね。一般にこうした防犯対策も経済性という観点からのみで見るのであれば、その『効率的な安全水準』は限界コストと限界便益が等しくなるところで達成されるわけです。故に彼らのあの物議をかもしまくった発言、

今回の指導について、ゼンショーの広報担当者は「経営を度外視してまで防犯に取り組む必要があるのか考えたい」と発言。

警察庁が指導、「すき家」ゼンショーの経営姿勢 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

はその意味においてやっぱり正しい。彼らは防犯を度外視したのではなくて、経営を度外視しないように振舞ったからこそ、そこに立っている。
東京新聞:牛丼店強盗9割は「すき家」 警察、異例の防犯強化要請:社会(TOKYO Web)
だから例えこんなことがあったとしても、それでも尚彼ら企業の売上高は外食産業でトップを走っている。彼らの行為の正しさは(少なくともある程度までは)その結果で証明されている。ならば私たちが考える「あるべき防犯対策」の正しさは一体どうやって証明すればいいんでしょうね? これまではそれを善意やら人権意識やらで解決しようとしてきたわけですけど。
私たちが普通想定する「最低限の防犯対策」と、しかし現実に最も効率的な「防犯対策」の乖離。
この乖離こそが真の問題ではあるんでしょう。経済的合理性だけでは、格差問題や雇用問題あるいは広義の社会問題である地域の治安問題等を解決できない。故に「市場も愚者である」なんて言われるわけです。一体どうすればその乖離を解消できるできるのか?


その解答を見つけることこそが現在盛り上がってる『反ウォール街』で本当にやらなければいけないことなんでしょうね。多分。
まぁだからといって、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない的な「だったら市場主義を辞めれば問題解決じゃない」とかバカなことを言う人が多くて困ってしまうわけですけど。