忖度しなければ生き残れない国際機関の悲哀

それを許しているのは私たち地球市民たちの罪?



特別リポート:批判覚悟で中国称賛、WHOテドロス氏の苦悩と思惑 - ロイター
中国の走狗」だのなんだのと色々と言われているテドロスさんではありますけども、しかしその冷静な評価としては今まで見た中では一番納得できるお話かなあ。

関係者によれば、テドロス氏は訪中して習指導部への支持を公然と表明すれば、中国をライバル視する国を怒らせるリスクがあることを承知していた。と同時に、新型コロナウイルスが世界に広がっていく中で、中国政府の協力を失うリスクの方が大きいと考えていたという。

特別リポート:批判覚悟で中国称賛、WHOテドロス氏の苦悩と思惑 - ロイター

そもそも相手の政府の自発的な協力が無ければ、(現代世界に存在する国際機関のほとんど全てがそうであるように)彼らは何もできないし、そして自発的に協力させるという事は相手の『都合の悪いこと』には出来るだけ触れないようにすることでもある。
悲しいことに、彼らは何より疫病対策を第一に考えているからこそ、必要不可欠な中国との協調関係を維持するために中国に不都合な真実は決して口には出せない。
いやあこのジレンマを考えるとテドロスさんも詰んでるよねえとしみじみ思うんですよね。



ただこの手詰まり感って、ただ走狗であることよりも深い絶望を意味することになるんですけど。
マジで走狗であるのであれば、ただ彼だけを切れば話はそれで解決したのにね。
しかし悲しいことにそうではなく、命令権も強制力もない彼らには下手に出てお願いすることしかできない。
気候変動ネタ*1なんかでこれまで日記でも何度か書いてきましたけども、そんな国際機関の悲哀である妥協の産物というのはまぁ多かれ少なかれ現存するそれがほとんどすべて持つ性質でもある。
いや、むしろ彼らはそういう内政不干渉な立場を明確にしているからこそ、このリヴァイアサンな世界でどうにか存在できているとさえ言えるわけで。
中国の意向に敏感なWHOとそしてテドロスさんだけを殊更に批判するのはあんまりフェアではないよね。


ということでテドロスさんの中国上げというのは、やはりザ・政治家としてこれ以上ないほど正しい態度である。
医者としては……、うん、まぁ、そうねえ。
それこそ、全世界というマクロな射程を入れたリーダーというだけでなく、ミクロな私たちの社会生活でもしばしば直面してしまうあるあるなお話でしょう。取引先やお世話になっている人に対しては、できる限り相手を持ち上げてなるべくあちらが不快感を抱かないように努める。
それは単純に相手に媚びへつらっているというよりは、何より組織と自身の利益と生存の為にこそ私たちは頭を下げる――フリをしている。
まぁ規模が極大に大きいというだけで、テドロスさんもやっていることは同じだよね。


注目されていた今回の総会でも見事にスルーされた台湾の参加問題だって、つまるところそういうお話でしょう。
台湾「WHOは中国の圧力に屈した」 総会への招待状届かず | NHKニュース
台湾の参加よりも中国の機嫌を損ねないことを優先させているだけ。
だってもし機嫌を損ねてしまい(まさに台湾問題は彼らにとって文字通り最重要な問題の一つである)、コロナ対策で協力を得られなくなってしまっては全てがご破算になってしまうから。


やっぱテドロスが中国の犬だった方がまだマシ、という救えない構図が今のWHOを取り巻く問題の本質なのだと個人的には思っています。





ともあれ、ここでそんな無能力な国際機関たちを冷笑しているだけではつまらないし、ここで私たちがまず魁より始める為にも思考実験としても考えなくてはいけないのは、
「ならばWHOをはじめとする国際機関に私たちの生活の変更を強要できるだけの権限に与えることに賛成するか?」
というお話でもあります。
それこそロックダウンや自粛期間について、少なくとも私たちが選挙で選んだ安倍首相ではなくWHOがその基準を命令することに賛成するか?
テドロスさんに命令されることに。



もちろんアメリカをはじめとして、自分たちの国家に手出しどころか口すら出されたくない中国やロシアは嫌がるでしょう。一方でヨーロッパは賛成する人多いかもしれないね。
では私たち日本の有権者たちは?
――まさに今私たち目にしているようなテドロスさんの言動や振る舞いを見て、彼に私たちの生活を左右する権限を与えてもいいと思っているだろうか?



曲がりなりにも民主主義社会に生きる私たちは、直接民主的手続きを経て選ばれるわけでもなく、つまり私たちに説明責任もない、ただその組織から選ばれたという理由だけでライトスタッフではあるかもしれない『見知らぬ』人物に、私たちの生活を左右する重要な政策の決定権を与えてもいいと思っているのだろうか?


民主主義社会に生きる市民として正しくそれを許さないのであれば、まぁ国際機関というのはこの先もしばらくはこのまま――というかやっぱり人類史上そんな「国際機関」は一度も定着したことはないんですけど――今回のような忖度を続けては、私たち地球市民から批判されていくのでしょうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?