みんなの為にお前は死んでくれ

勿論それを言っている側はそんなつもりはないんだろうし、また客観的にも正確ではないんだろうけども、しかし言われている側はそう考えてはくれないんですよね。そんな最近大盛り上がりの環太平洋パートナーシップ協定――TPPの適当なお話。



風雲TPP:/上(その1) 反対論拡大、国論を二分 JAが先導、労組・日医も共闘 − 毎日jp(毎日新聞)
「国論を二分」ですって。まぁ盛り上がらないわけがない話ではありますよね。だからこそこれまでの歴代政権は積極的に触ろうとしなかったのだし。
まぁTPPに限った話ではないんですけど、そもそも自由貿易のもたらすものはその国家全体の富の増加であることは間違いないわけです。よく推進派の人が口にする「TPPをやれば日本全体にプラスの富をもたらす」というのは概ね正しいと言えます。しかしそれはあくまで『総体』としてプラスに働くのであって、例えば「仮に99のマイナスがあったとしても尚、100のプラスがあるから自由貿易は正しい」ということと同義に近い。勿論そんな僅差になることなんてありえないんですけど、しかしそこには必ずメリットとデメリットが共存している。
まぁぶっちゃけてしまえば、一部の誰かが損をすることによって、全体としてはその損失以上の富を生み出す。いやぁ自由貿易って素晴らしいなぁ。
富の総量を増加させることと国内的な富の分配が変わること。そこには得をする人と損をする人の両方が発生する。そして今回の日本のTPPの話で損をする人と言えば、主に上記JAな農業の中の人たちであるでしょう。


こうした構図は、そんな少数に過ぎない「損をする」彼らが何故ここまで大きな政治的影響力を持っているのかの説明でもあります。
彼らは、広く薄く利益を得る大多数の国民とは違って、その致命的なレベルで損失を被るからこそ彼らはここまで必死になるのです。そしてその彼らの必死さは政治的影響力に直結する。そりゃそうですよね、多くの人びとにとってはそこまで必死になるほどのメリットが直接的にあるわけじゃないんだから。仮にそれがあったとしても大多数の側は、その多数という属性故に反対派の人びとのように容易に組織化されない。ノーベル経済学受賞者のジョージ・スティグラー先生*1がかつての仰っていたように、その多数派という要素は意見集約や組織化の為のコストが大きくなりすぎるせいで、わざわざ組織・集団として意見を表明しようとするような誘因が生まれない。故に多数派はしばしば無関心層へと陥る。
こうして民主主義の下で少数派は勝利するのです。


さて置き、そうした『必死な少数派の勝利』が続いてきた構図が現在こうして崩れつつあるわけですけど、じゃあ、それって一体何故なんでしょうか?
それを国民的関心の変化とかあるいは政権交代の影響とか言われたりしますけど、むしろ「必死な少数派が推進派の中にも生まれた」からじゃないかと思うんですよね。
つまり一部の致命的な損失を被る人たちと同様の、一部の決定的な利益を狙える人たちが勃興するようになった。そうして両者の勢力が相対的に拮抗するようになったからこそ、こんな「国論を二分」するような現在の構図が生まれたんじゃないかなぁと。それは推進派反対派のどちらにしても、やっぱり一部の必死な人たちこそがその意見を強硬に主張しているわけです。そして薄い利益と薄い損失しかない大多数の人たちはそれをなんとなく見守っている。


結局のところ、現在の日本のTPP議論って日本の将来像やなんやらとか言いながら結局そうした一部の利害関係者たちの代理戦争、という辺りに落ち着くんじゃないかなぁと個人的には思っております。まぁそれまで無関心だった大多数の興味を引くことはできたのでその意味では結果オーライとは言えなくもない。でも推進派にしろ反対派にしろ、その中心の人たちは別にそんなことは二の次にしか考えていませんよね。まぁいつだって政治はそんなもんだとも言えるんでしょうけど。