大成功でも大失敗でもない故に苦しむエジプト

何か教訓的なものが残っていればまだマシだったのにね、という悲しいお話。


エジプトの民政要求デモ、死者13人に 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
エジプト「民主的選挙」の腐った現実 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということで鎮火したはずのエジプトが再炎上でござるの巻。遠く離れた私たち日本としては、石油もないしどうでもいいと笑えれば楽なんですけど、しかしあそこにはスエズがあってマジヤバいので、むしろリビアの時よりも困ってしまいますよね。
さて置き、まぁ以前から「エジプトの『アラブの春(笑)』なんて最初からこんなもんだ」なんて冷笑していた専門家の人びとのお言葉はやっぱり正しいのでしょう。エジプト軍部の人ももうちょっと上手くやればよかったのになぁとは少し思ってしまいますけども。


ともあれ、まぁこうしてエジプトの人びとが怒り狂ってしまう理由も解らなくはないんですよね。つまるところ、一般にこうした『民主化革命』が燃え上がる契機となるパターンには、二種類あるわけです。「選挙そのものを求める運動」と「選挙の公正さを求める運動」。概ねこうした怒りこそがこれまでの歴史における民主化運動における大衆動員を可能としてきました。
そこで、じゃあエジプトはどっちのパターンなのか、と聞かれると少し困ってしまうんですよね。元々エジプトの大統領制が機能してきたわけでは決してないし、けどそれでも「一応は」共和国でもあったわけで。今回の再炎上した暴動にしてもその『選挙の公正さ』を求めるという点においては確かに間違っていないんだけれども、しかしそもそも初めからこの国に『選挙そのもの』が根付いていたのかというとそれも怪しいですよね? ――その意味で彼らが本質的にどちらを求めているかよく解らないんですよね。まぁ勿論それが同時に達成されることが素晴らしいのはわかるんですけど、しかしやっぱり大事なのは一歩一歩進んでいくことなんだから。
結局の所、彼らは、まず、何処に行きたいんでしょうね?
こうした構図を考える時に行き着いてしまうのは、あのナセルさんが偉大過ぎた故に、なのかなぁと。カダフィさんのように老いぼれて独裁者として堕ちる所まで堕ちるなり、あるいは共和国として正しく権力委譲の道を残していれば*1、また結果は違っていたんでしょうけども。見事に死ぬまでやっちゃって、そして伝説――グダグダな終身制へ。その意味で、初代大統領として二期目で降り見事にそれを慣習化させたワシントンは偉大だったなぁ、なんて言うとちょっとアメリカageが過ぎますね。


しかしこうして見ると、それぞれの『アラブの春』の国家たちの中でも「特にエジプトはほんとどうしようもない」と仰っていた人びとの意見にはその意味で同意するしかないです。エジプトはほんと混沌とし過ぎてよく解りません。案外カダフィ政権の『教訓』と、そして内戦の記憶がきちんと残ってる辺りリビアの方がまだ簡単そうに見えてしまいますよね。
大成功でも大失敗でもない故に苦しむ人たち。まぁありがちな話ではありますよね、権力問題にしても宗教問題にしても国際関係にしても、中途半端に安定してきたからこそ逆にその悪弊が温存され続けてしまった。そして現在になって、その中途半端な安定さが仇をなすと。いやぁ救えないお話ですよね。
がんばれエジプト。

*1:一度ナセルさん自身でも、第三次中東戦争の責任をとる形で、辞めようとしたのにそれを周囲が止めたということもあったりで。