それゆけ彼らの『苦難の神議論』

「今は、革命の機会ではなくむしろ救済なのだ」と必死な人たち。そのメカニズムについて。


「タンチョウヅルも金総書記の死を悼む」、超常現象相次ぐと北朝鮮メディア 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
わーたのしそう。しかし何に神性を見出そうがそれぞれ個人の勝手ではありますよね。こういうお話を見ると、その是非はともかくとして、彼らと私たちは「まったく違う世界」に生きているんだなぁと改めて実感してしまいます。

【12月23日 AFP】母なる大自然も、天から来られた将軍様の死を悼んでいる――。北朝鮮の国営朝鮮中央通信社(Korean Central News Agency、KCNA)は22日、金正日キム・ジョンイル、Kim Jong-Il)総書記の死去後、生誕地とされている白頭山(Mount Paektu)や国内各所で超常現象が相次いでいると伝えた。

「タンチョウヅルも金総書記の死を悼む」、超常現象相次ぐと北朝鮮メディア 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News

ともあれ、まぁなんというか、解りやすい『苦難の神議論』をやっていらっしゃいますよね。ウェーバー先生が言う所の、彼らの苦難に対する正当化について。金総書記の死に一体どのような意味を付与すればいいのか。まぁ確かにこうしたことは一種の『宗教現象』としては適切な行為だと言うことはできます。教祖の死という苦難に際して、如何にして教徒たちをこれまで通り繋ぎ止めておけるか。
今回の金総書記の死は、確かに大きな苦難をもたらすものではあるものの、しかしだからといってそれを反抗・革命の機会とさせることは絶対に阻止しなければいけないわけです。そのテーマにおいて彼ら北朝鮮の指導者層が直面しているのは、伝統的な諸宗教の歴史とまったく同じ所にあるのでしょう。如何にしてその苦難を正当化させるか。「彼らは苦しんでいるからこそ、むしろ救われるのだ」という人類が宗教という分野でそれこそ何百年、何千年と繰り返してきたやり方。その苦難を救済へと変容させる手法。
それに成功してきたからこそ、よく言われるように『宗教』とは政治的権威の正当化や社会的反乱の鎮静といった機能を備えるようになったのでした。


そして今、北朝鮮では似たようなことが行われているわけです。宗教現象によって苦難を乗り越えようとしている。『苦難の神議論』という伝統的で、故に有効な方法によって。一般に宗教弾圧がより激しいとされている北朝鮮*1でそうした宗教的な手法が行われているのは、まぁなんというか皮肉な話ではありますよね。まぁ成功するかどうかはまた別問題なわけですけど。
その意味で、むしろただ単純にその北朝鮮国民への(特にキリスト教の)宗教的ネットワークの形成を恐れたというよりもは、その擬似宗教を阻害することを恐れたからこそ彼らは既存宗教を殊更に嫌っていたのかなぁと。