何回やってもキョーワトウが倒せない

エアーマンが倒せない』で替え歌ができそうです。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33845
まぁなんというか、民主主義政治の限界、と一言で纏まってしまうお話ではあるんでしょうかね。

医師たちが患者の前で大声で口論し、治療に関して合意するのを拒み、痛み止めを何も処方せず、ふてくされて家に帰ってしまったのだ。生理学的な害は及ぼさないかもしれないが、神経質な性質の患者は苦しむ羽目になるだろう。

 長期的な懸念は、議会の機関がクリスマスの1週間前になって予算上の小さな相違点で折り合いを付けられないとすれば、それは、社会保障に関する合意やそのための財源確保の見通しについて何を物語っているか、ということだ。改革が1年ずつ先送りされるたびに、合意はより費用のかかるものになる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33845

そんな医者たちのケンカ。「共和党が金持ち優遇なのが悪いからだ」とか、「オバマが党派政治を煽っている」とか、アメリカでもまぁ色々犯人探しが盛り上がってたりしているようです。日本も似たような感じなのであまり笑えませんけど、しかしまぁ逆説的にアメリカでさえその程度でしかないとも言えます。


実際、オバマさんのその大きなビジョンからの意欲的な改革、というのは確かに理解できる話ではあるのです。これまでの新自由主義的な小さな政府から、もう少し大きな政府へ。共和党などはものすごい勢いで反発していますけど、公平に見てもそのやり方は私たちにもそれなりに正しいようには見えます。しかし、これまでのほとんど全ての民主主義政治の歴史が教えてくれているように、政治家たちは危機と真に直面するまで動こうとしないのも事実なわけで。いきなり全てを変えようとしても上手くいくはずがないのは明白ですよね。だからこそ私たちは小さな合意を、独裁ではなく民主政治だからこそ、重ねていくしかない。そして多くの場合でそうした遅々とした改革プロセスは危機ギリギリまで終わろうとしない。しかしそれでも「何もしない」よりもずっとマシなのです。
少なくとも現代民主主義政治においては『実行不可能な最大限よりも、実行可能な最小限こそが求められている』のです。
その意味で、やっぱりオバマさんは前者にこだわり過ぎているんじゃないかなぁとは思うんですよね。まぁそれも「選挙が近いから」という身も蓋もない結論で終わってしまう話でもあるんですけど。キョーワトウを倒すことに必死なオバマさんと、オバマさんを倒すことに必死な共和党。確かにそれは民主主義政治の限界ではありますけど、しかしどちらにせよ気の抜けるお話ですよね。


それにしても今年は『アラブの春』などに代表される民主主義の前進が見られた一方で、しかし欧州連合での一連のユーロ危機――特にギリシャの問題では国民投票の問題などで所謂『民主主義の赤字』が表面化したし、そしてアメリカでは(日本と同様に)民主党共和党によるデッドロックで前にも後ろにも動けなくなってしまっている。これどう見ても後退していますよね。
おおギリシャよ、またおまえなのか - maukitiの日記
上記日記でも書いたことを繰り返しますと、まさに「民主主義は弱体であった所では前進しつつありそれが強力であったところでは逆に後退しつつある」まんまの状況だと言うしかありません。
自然災害や経済や独裁者たちといった危機だけでなく、こうして民主主義政治にまでその危機は及んでいると考えると、いやぁ2011年はほんとにロクでもない年になってしまいましたね、とつくづく思ってしまいます。