その悲劇は何故生まれるのか

その『常識』や『世界観』とは、私たちの黙認・暗黙の了解・共謀によって形作られているんですよね、という普通のお話。


http://digimaga.net/2009/02/iraqi-woman-recruited-a-suicide-bomber
2009年の記事ではありますけど、何故か今になって巡回範囲に浮上してきたので少しだけ。

 1月21日、イラクで80人以上の女性を自爆テロ犯に仕立て上げ、“信者の母親”として知られている女性、サミラ・ジャサム(51)がイラク警察に逮捕されました。

 サミラの手口はこうです。まず自爆テロの候補になりそうな女性を集め、次に裏で組織している男たちにレイプさせます。イスラム文化圏ではレイプされた女性は死刑、そして家族全体の名誉を汚した存在であるため、その恥をぬぐうためにはアッラーの教えに従い聖戦に参加するしかないと誘導するのです。生きることが恥(そして死刑)になるわけですから、被害者の女性たちはおのずと自爆テロへの道を選びます。

http://digimaga.net/2009/02/iraqi-woman-recruited-a-suicide-bomber

えー、まぁ、スガスガしいまでの「人間のクズ」と言えるでしょう。おわり。


さて置き、ではこの構図において、一体何がこの悲劇をもたらしたのかと言えるのでしょうか?
ということを考えた場合に、別にこのクソババアさんだけのせいでこの悲劇が生まれたのかというと、それも微妙に違うわけですよね。結局のところ、この悲惨な行為を可能としているのは彼女の特別な資質による部分というだけでなく、「恥をぬぐうためにはアッラーの教えに従い聖戦に参加するしかない」という彼らの思想そのものであるわけだから。こうして彼女を倒したところで、しかし第二第三のクソババアさんが出てくることは避けられないと言えるでしょう。
では、今回のようなイラクにある人たちのそうした思想・世界観・常識といったものが、今回の『自爆テロの母』のような一部の危険な人たちによってのみ形成され支持されているのかというと、まったくそんなことないわけですよね。そんなレイプされた奴が悪い的発想は、ある意味で彼らから積極的――かどうかは解りませんけど、少なくとも黙認され大多数の誰もが認めるところであったからこそ、現実にこうした社会集団の圧力が生まれているわけです。ならば自爆するのが当然だろう、なんて。
ほとんどの人間は、他者から意味を受け取るのです。かくしてそれはその社会内部でのみ通用する常識・世界観・イデオロギーとして連綿と受け継がれ存続していくのです。ただそこに存在しているというだけでなく、社会的な基盤を持った人びとの共謀という行為によって。それ以外の答えを知らないという事情を当然割り引いた上で、しかし大多数の人たちが現在進行形で信頼し続けているからこそ。
もちろんこうした常識に反発を覚える人たちも居たことでしょう。それは間違っていると声を上げた人もきっと居たことでしょう。しかし彼らは結果として失敗し、その社会は変わることはなかったのでした。



よく言われるような「社会が必然的に保守化していく」というのは一般にそういう理由から(勿論これが全てではないにしても)説明されるのです。ある種の、それは『淘汰』の必然的な結果として。私たちは周囲の常識や世界観から影響を受けずにはいられない故に。
それは上記『自爆テロの母』への半ば無条件の反感を抱いてしまう私たちにしたって同様なのです。周囲の『みんな』がそう言っているからこそ、私たちのその嘲笑や卑下は、今この場(日本)において正当化されているです。それこそ彼らの「恥をぬぐうためにはアッラーの教えに従い聖戦に参加するしかない」が現地で正当化されている構図と全く違いはない。


その意味で、今回のような悲劇において例えばイスラム教の原始的で非人道的な教義こそが原因だ、という見方は微妙にズレていると思うんですよね。そんなものは他の一神教だけでなく結構何処にでもあったにもかかわらず、しかしその多くが改変されてきた故に、漸進的に姿を消してきて現在に至っているわけだから。
つまり問題は、何故彼らがそれを変える事ができなかったのか、という点にあるのではないでしょうか。対して、何故私たちがそれを変えることができたのか。それを考えることこそがこのようなイスラム世界の悲劇を考えるヒントになるのではないのかなぁと。





あと別に言い訳でもなんでもないんですけど上記元記事の最初に表示される犯人の顔とその右側に表示される「最新グラビア記事」ハンコックおねえさんのおっぱいの谷間とのギャップが気になって気になってイマイチ集中できなかったのでこの日記が論点が散漫になっていると感じる点がありましたらそういうことだと察してくださると嬉しいですいや別に言い訳ではないんです。