資本主義においていかれる私たち

先日の資本主義は二度死ぬ - maukitiの日記の続き的なお話。



ロムニー氏、ネバダ州党員集会で勝利 共和党指名争い 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえばロムニーさんがネバダでも勝ったようで、なんだかんだでこのままいってしまうのかなぁと。ギングリッチさんは確かに伝統的な保守層の支持を受けていたわけだけど、よく考えたら『成功した金持ち』という点でロムニーさんもある種の保守層の支持をこうして集めるのは別に不思議ではありませんよね。まぁどう見てもオバマさんによる敵失待ちという点では変わりはないんですけど。
富豪ロムニー候補は「貧困層に関心なし」 | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
で、ニューズウィークのような所が様式美のようにこうして批判すると。
まぁ「極貧層のことは心配していない」なんて迂闊だなぁとは思いますけど、しかし大多数の有権者たちが求めていること、という点で概ね間違っていない気もするんですよね。だってつい最近まで怒れる人たちはオキュパイ云々で「上位1%ではなく残り99%の人たちを救済すべきだ!」なんて言ってたじゃないですか。決して「極貧層下位の1%を救うべきだ!」なんて言っていたわけではない。その意味で、彼は有権者たちが求めているものについて、別にただただ正しく応えているだけじゃないのかと。まぁ世の中には本音と建前というものがあるのでそれが必ずしも正しい応答だとは言えないんですけど。


ともあれ、民主主義政治としても、ロムニーさんの中間層こそを救おうとするポジションは正しいとも言えるのではないでしょうか。かつてアリストテレスさんが言っていたようにやっぱり「政治的安定は社会の中間層の安定こそがそれをもたらす」わけなんだから。それが選挙に勝てるかどうか、あるいは弱者救済の為の方策として正しいのかどうかは別として、少なくともその点においては正しいのかなぁと思うんですよね。

以下本題

上記アメリカをはじめ現在世界中ほとんど何処でも言われるようになった「資本主義の失敗」が政治問題化しつつあるのって、つまりそういうことだと思うんですよね。それこそかつての共和制ローマカルタゴを滅ぼした後の地中海貿易というグローバリズムによって、中産階級の崩壊を招き、ついにはローマの共和制そのものが崩壊してしまったように。
結果として、資本主義経済の進歩とそれに伴う半ば必然的なグローバル化は、経済的な中間層を見事に破壊してしまう。海外(安い労働力・効率的な生産システム)と競争したら国内の仕事がなくなった、まぁごく当たり前の結論ではありますよね。グローバリズム、ひいては自由貿易って元々そういうモノだったとしか言い様がないわけで。かといってそれを今更止めるわけにもいかない、だってそれをやめたら競争に負けてしまうだけなんだから。そして競争に勝つために生産性を上げれば上げるほど雇用はなくなっていくと*1
かくして私たちはものすごい勢いで流れている高速道路に乗るようにして、富を生み出しながらも結果として自由に下りることも出来ずにひたすら突っ走っていくしかないグローバリズムという『黄金の拘束服』*2によって身動きがとれなくなっていく、なんて言われているのでした。


故にこうした問題において「金持ちが優遇されているからだ」という批判自体は正しいものの、だからといって金持ちの優遇をやめたら解決する問題でもやっぱりないとも思うんです。別にそれを攻撃したところで、しかし中間層たる人びとの生活の安定をもたらすはずの雇用は帰ってこない。
おそらく、こうした状況に対して勿論人びとはそれなりに順応していくのでしょう。かつては読み書きさえ出来ずに農業しか出来なかった人々が、いつしかそれ以上のことをできるようになったように。過去にはなかった新しい分野でのサービスや雇用は、確かに生まれていっていくように。
しかしその資本主義がもたらす進化のスピードは以前よりもずっと早くなっているのです。かつては一つの言語さえ操れれば、読み書きさえ出来れば、運転さえできれば、大学さえ出ていれば、パソコンさえ使えれば、そうして得られたはずの仕事が消えていくサイクルはどんどん短くなりつつあるのでした。私たちはより多くのスキルを求められるような社会に生きていることで、当然の帰結としてその適応に失敗する人たちがより増加していき、かくしてそれは下層の人びとだけでなく中間層の人びとまで波及していくと。


その意味で、グローバリズムという競争によって加速度的に進歩の度合いが早まった資本主義経済に、大多数の私たちはついていけなくなりつつあるんだと思うんですよね。陳腐化していく人びと。それが少数だった時には(勿論それはそれで悲劇的な話ではあるんだけれども)ぶっちゃけてしまえば少数ゆえに大きな問題にならなかったものが、しかしそうではなくなってしまった。
資本主義の失敗というよりは、資本主義の変化についていけない私たち。まぁそれも一つの失敗であるという見方もできるかもしれません。似たような構図としては、戦闘機の進化が中の人の限界によって頭打ちになっている、というお話に近い感じでしょうか。
かくして資本主義においていかれた人たちがその臨界点を越えてしまった時――中間層の崩壊という臨界点に達した時、ただ資本主義の崩壊がやって来るというよりも、むしろ先に既存の政治システムの崩壊がやってくるのではないかなぁと思うんですよね。資本主義の代わりはなくても、民主主義の代わりは幾つかあるわけだから。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:テクノロジは雇用を破壊しているのか? | TechCrunch Japan

*2:グローバル経済を受け入れた結果、その利益(黄金)と引き換えに自由を拘束された国家たち。「故に世界はその『拘束服』によって平和になるのだ」的なお話。トーマス・フリードマン著『レクサスとオリーブの木』より。