日本社会のランドマークを正しく狙ったテロリスト

おそらく本人はまったく意図していないんでしょうけど、ほんとうに、まったくもって気の滅入るお話。


京都放火事件 容疑者の名前公表|NHK 首都圏のニュース
ということで概ね初期の報道を見る限りでは「テロ」と呼んで差し支えない事件となってしまったなあと。

18日午前10時半過ぎ、京都市伏見区にある「京都アニメーション」のスタジオで、1階の玄関に入ってきた男がいきなりガソリンとみられる液体をまいて火をつけ、爆発的な火災が起きました。
警察によりますと、出火当時、建物内にいた従業員など74人のうち逃げ遅れた33人が死亡し、35人が重軽傷を負ったということです。

京都放火事件 容疑者の名前公表|NHK 首都圏のニュース

もちろんこうした唐突に日常を破壊する陰惨なテロ事件というのは、日本に限らず――いやむしろ昨今の欧米で見られる過激イスラムによって頻発するテロを見れば先進社会では半ば例外的にその流れから一歩身を置いて見れていた――悲しいかなどこにでもある悲劇でもあります。
理不尽に、唐突に、その生命財産を奪われる人たち。
同様に人間社会においては昔からこうしたことは繰り返されてきたと言っては身も蓋もありませんが、しかし一方で『個人の生命財産を不当に侵害してはならない』という明確な同意がその社会でより強固に信じられているからこそ、その事件への衝撃は相対的に大きくなっていくわけで。
上記欧米含む先進社会でも圧倒的に「安全」であると信じられてきた日本でこうして起きてしまうと、やっぱりその衝撃の度合いは大きいのでしょう。



テロリストたちは現地住民たちの日常を破壊する。元々がそこが安全であればあるほど、その心理的効果は大きくなる。
であればこそ欧米各大都市で起きるテロはイラクなどで見られるそれよりもずっと大きな、心理的動揺をもたらしてきた。


そしてもう一つ大きな要因となっているのが、日本が「平和な社会である」ことの一種の象徴でもあったアニメが狙われてしまったという点こそ、今回の事件でより大きな意味が付与されてしまっていると思うんですよね。
幼少期から慣れ親しみ、だけでなく今では「大きなお友達」な私たちにとってすら『日常』の象徴でもあったはずの、アニメ制作現場が標的に。
その意味で、しばしば政治的大目標のあるテロリストが標的とするその国の大イベントやランドマークを狙うことで企図する副次的な宣伝効果、と近い心理的衝撃を日本社会に与えただと思います。
――おそらく、事件を起こした彼はまずそこまで考えていないでしょうけど。
しかし意図があろうとなかろうと、結果として私たち日本社会の(しばしば平和ボケと揶揄すらされる)平和で平凡な『日常』の象徴の一つでもあるアニメ、その製作現場が狙われることによる宣伝効果が生まれることになった。


それは決して日本社会における重要な観光施設やランドマークというわけではない。しかしその小さいながらも世界的に著名なスタジオが担ってきた、平凡ながらも平和な日常生活の象徴の一つとして。
直接的な意味と、間接的な意味とで、犯人は私たちの『日常』を二重の意味で破壊した。
「京アニ」放火に心痛める世界のアニメファン - BBCニュース
京都にある小さなスタジオを攻撃したにとどまらない、日本だけでなく世界にも大きな心理的影響を。


セキュリティの緩いNHKの取材日と重なったという意味でも、
本人もその威力を解っていなかっただろうガソリンを使ったテロという意味でも、
そのニュースが期せずして日本社会に大きな衝撃を与えたという意味でも、
かくしてその愚かな一個人のやることにしては本当に大きく悲劇的なニュースになってしまった。




がんばれ京都アニメーション