イエス様がみてた

そんなキリスト教の根っこにある終末論について。


米国人の2割「世界の終末近い」、マヤ予言も影響=調査| 世界のこぼれ話| Reuters
アメリカ人の22%「世界の終末近い」と強く感じている。全世界では15%が終末の予感(世界調査) : カラパイア
下のカラパイアさんのコメントでも指摘されている通り『マヤの予言』云々はともかくとしても、この「終末がくると思うか?」という質問って宗教的な「神の国はあると思いますか?」的な質問と一体どれだけ違うのか、というお話ではありますよね。教育水準や収入も勿論あるんでしょうけど、しかし要因としてはそちらの方が大きいんじゃないのかと。

[ニューヨーク 1日 ロイター] 調査会社イプソスが世界的規模で行った最新の調査で、「生きているうちに世界の終わりが来ると思う」と回答した人が、全体の約15%にのぼることが分かった。

イプソスは21カ国の計1万6262人を対象に調査を実施。死ぬまでに世界の終末が訪れると信じている人は、国別では米国とトルコが22%と最も多く、南アフリカでも2割を超える結果だった。最も低かったのは、フランスの6%。

米国人の2割「世界の終末近い」、マヤ予言も影響=調査| 世界のこぼれ話| Reuters

実際その回答を見ても、アメリカが一位でトルコが二位、以下南アフリカ・メキシコ・アルゼンチン・インドネシアと宗教心が篤いとされている国ばっかり並んでいますし。まぁトルコやインドネシアのようなイスラム優位な国におけるイスラム終末論については浅学につきちょっとよく解りませんので、詳しい方解説を是非。
ともあれ、少なくともキリスト教にとっては終末論はとても身近というか、むしろその宗教思想の根幹を成していると言っても過言ではないわけで。ここから更に突っ込んでいくと、その前段階であるユダヤ教の影響からの預言者的終末論とその後の黙示的終末論が〜、と色々あるんですがあんまり関係ないので割愛。


そもそも原始キリスト教でイエス様がその活動の最初に仰っていたとされる「もう少しで神様が降臨するくらいに今の世界はヤバいから、悔い改めようぜ!*1」という辺りからして、既にもう身も蓋もなくそのことが窺えますよね。
しかしその当初の思想とは裏腹に、その後イエス様が死んでもちっともその終末はやってこないので、キリスト教は生き残りの為に(ただ終末を待つのではなく)徐々に世俗化し制度化されていくのです。こうして現代でも一般にイメージされる――「隣人を愛せ」のような――抽象的な『道徳の教師』としてのキリスト教のイメージが形成されていくのでした。その後、19世紀頃からの近代聖書学によって聖書の研究が盛んになってからようやく、再びイエス様の終末論は『再発見』されることになるのです。


ということで、殊更に原理主義な人たちというだけでなく、普通に聖書を読んでいる人にとっては、やっぱりそうした終末論って極当たり前のお話なのかなぁとは思うんですよね。それこそキリスト教的な(創造から終末に至るといった)歴史観の一つとして。
19世紀から「まるで成長していない」私たち - maukitiの日記
以前の上記日記でも少し書いた、アメリカを筆頭にして未だに根強く信仰される『創造論』というものにしても、それってやっぱり『終末論』とセットとして見ることができるわけだし。そして上記日記の時と同様に、創造論にしろ終末論にしろ、その是非をめぐっての宗教的な神学論争を煽ろうとする構図はバカげているとも思います。

同社のケレン・ゴットフリード氏は、理由の1つに古代マヤ文明の予言がメディアに注目されていることを挙げた。古代マヤ文明の暦では、2012年12月に世界の終末が訪れるとされている。また同氏は、教育水準や収入が低い人ほど、世界終末を信じたり、マヤ文明の予言に不安を感じる傾向が強いとも説明した。

米国人の2割「世界の終末近い」、マヤ予言も影響=調査| 世界のこぼれ話| Reuters

こうした構図において、これってむしろ因果が逆なんじゃないのかと。それこそ『マヤの予言』が流行ったのだって、元々そうしたことが背景にあったから、ということではないでしょうか。

*1:マルコの福音書第一章一五節「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」