『規制』によって繰り返されてきた失敗の一つではありますよね。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35248
より俯瞰した長期的視点で言えば――(ケインズさんが言う所の)『考え方』というような――その時代における支配的な思想が再び変化しつつある、ということなのかなぁとは思います。その変化は必ずしも最終的な終焉を意味するのではなくて、やっぱり一時的な後退であり一時的な前進であって、これまでも繰り返されてきたように経済的『自由主義』と『リベラル派』の間で常に揺れ動く私たち、という普通のオチ。
20世紀には、国有企業が民営化され、投資信託会社が急増するのに伴い、株式保有が広く浸透した。だがいまや、大衆資本主義は後退している。IPOが少なくなれば、一般の人々が未来のグーグルに投資するチャンスも少なくなる。
プライベートエクイティが増え、未公開株式市場が広がっているために、投資の力が一部の特権的な投資家の手に戻りつつある。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35248
ともあれ、実際こうしたお話って、日本でもここ最近ずっと言われてもいましたよね*1。そしてやっぱりそれはフェイスブック上場に沸くアメリカも同じなのだと。
かつては国営企業が「監視がなさ過ぎて」衰退したのに対して、今度は公開された上場企業が「監視の目がキツ過ぎて」失敗しようとしている。まぁなんというか皮肉なお話ですよね。株主はうるさいしお上の規制もうるさい、だったら始めから上場公開なんてしなければいい、と非公開企業こそが主流になっていく構図について。確かにその選択は合理的であると言えるのでしょう。
そんな非公開化の流れに対して、エコノミストさんは(まぁ勿論そのポジションもあるんでしょうけども)かなり明確に懸念を示しています。
こうしたことを考えあわせると、思考の転換、とりわけ政治家の思考の転換が必要と言える。政治家は、長期的に見れば事業家には株式公開以外の選択肢はないという軽率な仮定の下で、欧米の上場企業に山のような規制を課してきた。いまや多くの企業が、お役所的な煩雑さを避けるために株式非公開に移行している(またはとどまっている)。
その結果、秘密のベールに包まれて経営する企業がますます増え、裕福なインサイダーたちがますます大きな力を持つようになる。
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個人的な関心としては、こうした『内向きになる資本主義』って以前も書いたような「民主制から寡頭制へ」と内向きになる先進国の政治状況と密接にリンクしてそうだと思うので、長期的にはそっちの方がより重要な影響をもたらすんじゃないかと思ったりします。
その意味ではエコノミストさんが仰っている懸念はわからなくはないかなぁと。良かれと思って悪徳な投資家や大企業を攻撃し規制しまくっていたら、結果として見えない場所でより力を与えてしまっていた、といういかにもありそうな展開。かくしてエリート主義はより内向きになっていくと。
なんか昔の禁酒法の失敗を思い出してしまいます。まぁ経済学では薬物や売春など『規制』による負の効果として有名なお話ではありますよね。規制を強めすぎたらアングラ化して大変なことに。それがまさか株式公開という領域にまで。言うのは簡単だけど、実際やろうとすると規制って難しい。
みなさんはいかがお考えでしょうか?