再分配政策と政治不信のジレンマ

再分配を任せるほど『政府』を信用できない人びと。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41863
マーティン・ウルフ先生の格差のお話。

共和国の理想が浸食される恐れ

 格差の拡大が社会にもたらすコストはまだある。筆者が思うに、その中でも最大のコストは、市民性の共有という共和国の理想が侵食されることだろう。

 米国の連邦最高裁判所は、富裕層の意に沿うように憲法を曲げようとしており、政治的平等という共和国の前提が危険にさらされている。富や権力において格差が大きく広がることは、以前にもいろいろな共和国を空洞化させてきた。この時代でも同じことが繰り返される恐れがある。

 とはいえ、そのような懸念を持たない人々にとっても、格差拡大がもたらす経済的なコストは無視できないはずである。米国のローレンス・サマーズ元財務長官が言及した需要の「長期的停滞」は、所得の再分配の変化に関係しているからだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41863

リベラルな「弱者保護」とはまた別の話として、全体への影響としてはこちらの方もやっぱり問題だよなぁと。経済格差は引いては民主主義政治そのものを蝕むだろうと。やっぱり昔から言われているお話ではありますよね。
グローバル化がもたらす必然の結果である賃金格差、低賃金労働の増加や高学歴の賃金プレミアムなど、まぁ正直こちらは現代資本主義世界ではどうしようもないのが現状じゃないかと思います。世界中で労働者たちが自由競争したらそうなるのは当然なんですよ。
――で、そうなると政府による『再分配機能』こそに活路を見出すしかないわけで。
ただまぁ上記リンク先述べられている「再分配の変化(縮小)」というのも、概ねその通りだと思いますけども、それってそもそもが『政治不信』と無関係ではいられないからこそ現状がこうなっている面があるのは皮肉なお話ですよね。むしろ「共和国を空洞化」しつつあるからこそ「再配分政策も上手くいかない」っていう。その変化を望んだのは有権者たちの多数派意見でもあったわけで。


政治家や政府や官僚たちは巨大企業の利権によって操られ民主主義はその機能不全を起こしつつある、なんて。政治的無関心さがその監視機能を失い、その失望がまた無関心さを呼ぶ。本邦でも「政府は本質的に悪である」なんていう過激な人は少なくありませんけども、その主張の是非はともかくとして、そうした主張に沿おうとすると出来る限り『政府』を小さくすることが正義となる。そりゃそうですよね、大きな予算や大きな権限を彼らに持たせれば持たせるほど、彼らが腐敗する余地は大きくなってしまうのだから。
故に彼らの予算と権限を縮小しようという善良なる地平へ。その意味では小さな政府主義な人たちの言うことには一理あるのです。確かにそれは必然的に熾烈な利害関係者の争いや、規制や再配分政策に伴う利権や腐敗を、手っ取り早く究極的に排除できるやり方でもあるわけだから。
別にアメリカに限った話ではなくヨーロッパや私たち日本など結構どこにでもある政治不信が、直接的な給付政策から間接的な雇用創出といった再分配機能までも縮小させている(もちろん全てではないにしろ)一因、あるいは復活へのハードルとなっているのは愉快で悲しい構図だよなぁと。


ならば私たちは、もう一度『政府』を信用して巨大な政府支出を容認すべきなのだろうか? と考えると色々と悩ましいお話ですよね。
まさに現在の日本に住む私たちなんかは、それこそ消費税増税に強く反対する人であればあるほど、同時にまたその消費税が適切に使われるだろうことに期待せず「だからこそ」それに反対するのだから。


みなさんはいかがお考えでしょうか?