コモンズの喜劇

一部世代の利益を追求したら全体の利益が失われることが「明らかに」解っていながらやめられない私たち。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42527
うーん、まぁ「移民への抵抗勢力さえ居なくなれば解決するよ!」な手法を信奉するお馴染みのポジショントークはともかくとして、しかし原因としての「高齢化社会」というのは概ね同意するしかないかなぁと。世代間闘争なんてバカげていると思いますけども、しかし皮肉なことに、民主主義政治のプロセスこそがその解決――どころかより軋轢を生んでいるっていう構図。素晴らしきは若年層と比較しての高齢層の投票率の高さよ。そりゃ18歳投票も望まれてしまいますよね。
いやぁほんと民主主義ってすばらしいなぁ。

 フランスはほかのほとんどの欧州諸国よりも高い出生率を誇るが、高齢者に回される資源の割合は平均を上回っている。フランソワ・オランド氏が大統領に選ばれたのは、年金の受給開始年齢を62歳から60歳に戻すと公約したためでもあった。

 また英国のジョージ・オズボーン財務相は福祉手当に上限を設けたが、国民年金はその対象外としている。

 米国では、メディケア(高齢者と障害者を対象にした健康保険制度)およびソーシャルセキュリティ(社会保障年金制度)が連邦予算に占める割合が毎年高まっている。どの政党も、年金支給開始年齢には手を付けようとしない。現在は65歳だが、今後も少しずつしか引き上げられない見通しだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42527

私たち日本だけでなく、ほとんどどこの国でも見られる風景で苦笑いするしかありませんよね。「自分たちの世代だけならセーフだろう」と老人であれば誰もが考えるものだから、結局ほとんどどこでも、高齢化社会の進行よって明らかに維持不可能な社会保障の根本的解決策である『負担増』に失敗する。


重要なのは、将来的にはほとんど確実に負担増は避けられない、と誰もが解っているからこそ、より一層せめて自身だけは逃げ切ろう=自身の利益は最大化しようとするインセンティブが強力になる点ですよね。まさにコモンズの悲劇が悲劇としてあるのは、そのような論理展開にあるわけですよ。
皮肉なお話ではありますが、今の日本社会でも見られるように大きく頻繁に「社会保障はこのままでは破綻する!」と叫ばれれば叫ばれるほど、ならば自分だけは逃げ切ろうと強く確信するようになる。共有地での資源が少なくなればなるほど保護ではなく、残りの獲物を狙って更に競争が激しくなってしまい資源の枯渇は加速する、からこそそれは『悲劇』と呼ぶのです。


ここで敢えて(厳密に言えば当てはまるか微妙な)『コモンズの悲劇』的なお話を出したのは、だからといって、現在の老人世代だけが殊更に悲観的で利己的で強欲で無責任なのではないとも思うからであります。彼らは破綻しつつある共有地=万人の為の社会保障制度に直面しているからこそ、政治的権利を使用して自身だけは逃げ切ろうとしているよくある風景の一例でしかない。きっと別の世代が当事者になっても同じことが繰り返されるだけなのだろうなぁと。特定の高齢層の愚かさなのではなく、むしろ普遍的光景としてある人類の愚かさでしかない。だからといって何の救いにもならないんですけど。
先送りしてきた結果が現在の状況=比較的当事者意識の薄い若年層の負担増ばかりが先行する羽目に。ついに「払い損」という地平すら見えつつある若者たちにとっては、悲劇どころかハラショー過ぎて喜劇にしか見えませんよね。



ともあれ、まぁ先送りするなら先送りするで、妥協案として究極的解決方法でもあるインフレにしちゃえばいいとは個人的には思います。そうすれば幾らかは不公平感は解消されるから。でもそれすら拒否される声が大きい現状日本についてはやっぱり政治の問題があって、根本としては引用先にもあるジェロントクラシー(老人支配)が正しく民主主義政治の帰結として生まれている点が大きいのではないかと。
実際に投票するかはともかくとして、高齢層に属する有権者たちは圧倒的な投票力を背景した強力なサイレントマジョリティーを形成することで、政治家たちに有形無形の圧力を掛けることに概ね成功している。負担増やインフレを口にするだけで大バッシングされる。
全体の利益ではなく特定層の利益を守ることこそが現代政治(=法規制)の性質である、なんてジョージ・スティグラー先生が『規制の虜*1』で冷笑的に仰っていましたけど、まぁやっぱり見慣れた悲劇であり喜劇ですよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?