国際機関の政治的正当性の在りかた

まぁこれまで通り無視し続けててもいいですけども。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36828
ということでエコノミストさんちの地域協定に関する評論。いやぁさすが当事者だけあって良いことを仰っています。

 こうした利点にもかかわらず、RTAに関しては2つの大きな懸念が残る。1つは、RTAが外部の国を犠牲にして内部の国の力を強めるのではないかという不安だ。(中略)2つ目の懸念は、地域協定にはすべての加盟国が平等であると明示したルールが欠けていることだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36828

この辺は地域協定のもう一つの側面として昔から言われているお話ではありますよね。つまり、どの地域貿易協定=RTAでも問題となる「地域協定によるブロック化」と、そして現存する国際機関のほぼ全てが抱える「民主主義の赤字」というジレンマ。
もちろんTPPも国内的な論点としてそれはそれとしてあるんでしょうけども、しかしよりマクロな視点として国際関係におけるこうした問題も『地域協定』を考える上でまた避けて通れないのだろうなぁと。それどころではないのか興味がないのか、日本ではまぁさっぱり議論されませんけど。


前者については上記リンク先でも指摘されているように、例えばヨーロッパでは欧州連合による経済同盟が進めば進むほど、逆にEU「外」との貿易は減少することになる。それはまぁ極当たり前の帰結ではあるんですよね。もちろんそれはより有利な方へと流れただけという要因もあるんですが、もう一つ、そうした該当地域に向けて関税や障壁を撤廃することに反対する人たちは、それと引き換えにそれ以外の障壁を高くすることでバランスを採ろうとするのです。内部での障壁が低くなればなるほど、外部への保護幕は大きくなっていく。それをしてEUなんかはまさに「欧州要塞」なんて皮肉られていたりしたのでした。
それはまぁ身も蓋もなく言えば事実上のブロック化ですよね。それこそ今のTPPなんかも「対中国の為だ」ということはしばしば指摘されるお話でもありますし。


さて置き、後者の問題はもっと根本的な問題が横たわっているわけであります。今後私たちがよりグローバルな世界で生きていく上で避けては通れない難問。国際機関や国際的ネットワークは政治的正当性をどこに見出せばいいのか?
もちろん上記でも言われているように「すべての加盟国が平等であると明示したルール」を設定するのも一つの方法でしょう。実際少なくない場所でそうやって決まっているわけですし。
しかしそれは平等ではあっても決して「民主的」とは言えませんよね。TPPで言えば、例えば人口40万のブルネイと3億超のアメリカや1億2000万の日本が同じ一票だなんて、建前としては賛成できてもそれにきちんと反論するのはすごく難しい。
これは皮肉にも、一般に私たちが民主主義政治の下に生きているからこそ、そこに疑問を抱いてしまう問題であります。その制度の正当性を支えるのは実績や伝統だけでなく、むしろ今の世界では「民主的手続き」を守っていることこそが最重要視されているわけだから。ところが現状でそれを実現できているのはほとんどない。かくしてWTOなどのグローバル化に抗議運動をする人たちの大義名分の一つである「その意思決定プロセスが民主的でない」という主張は、それなりに支持を得ることになるのです。
まぁこの辺もやっぱり去年からその先駆者たるEUさんちがそうした『民主主義の赤字』についてのグダグダを色々やっていましたよね。ギリシャ支援とギリシャ民主主義政治の葛藤。
超国家的な枠組みにおいて『有権者』とは一体誰のことなのか?


結局のところ、私たちはより根本的な問題として「そもそもどうやってその政治的正当性を担保するのか?」という合意さえ得られていない。まぁそれはその頂点にある国連を見ても一目瞭然ではあります。だからこそ私たちは次善の策として「はじめから無茶な決定を押し付けない」ことと、そしてこうした問題をどうにこうにか見ないフリを続けながらやってきている。実効性と引き換えにして。
ある程度の帰属意識がない以上民主的なやり方は必ず失敗するものの、しかしだからといってそれ以外に政治的な正当性を今更他に見出せない私たち。
かといってこのまま見ないフリを続けるにしても、このボーダーレスな時代にあって国際的協力を必要とする問題は今後益々増えていくことでしょう。しかしだからといって、反グローバリズムな人たちが言うようなグローバル化そのものを今更やめるわけにもいかない。


がんばれ人類。