「俺のターン! 国益を犠牲にして、より良い政権支持率を召喚!」

と見ると、まぁ古今東西どこにでもあった(やがて悲劇に繋がる)召喚失敗な政治史あるあるにはなってしまうんですけど。


韓国「日本側から謝罪」、日本「謝罪した事実はない」 GSOMIA失効回避も「衝突」続く : J-CASTニュース
結局、韓国側の破棄宣言の破棄というよく解らない二重否定で終わったGSOMIAのお話はその後の言った言わないの顛末も含めて、まぁ基本的には重要なお話ではあるはずが追う気もなくなる程度には終始グダグダでしたねえ。
【地球コラム】日韓関係はどうなるか:時事ドットコム
まとめとしては、いつものように専門家のお話をありがたく拝聴――いつもの木村完先生のお話辺りを読んでおけばいいと思います。。

 重要なのは、「相手に勝つ」ことではなく、「自らの国益を実現する」ことだ。仮に「韓国/日本に勝つ」ことができても、その過程において、自らの経済や安全保障に関わる重大な国益が損なわれてしまっては意味がない。問題の不必要な拡大を回避しつつ、いかにして自らの目指すゴールへと導くか。来年は、日韓両国にとって冷静な対処が必要な一年になりそうだ。

【地球コラム】日韓関係はどうなるか:時事ドットコム

国際社会からの信頼を損ねてでも「相手に勝つ」ことが至上目的となってしまっている韓国(そして日本も同様に)の状況となっているのが私たちの現在地であると。


面白いというか、皮肉というか、そらそうなるよね感があるのは、そのまま「相手に勝つ(ように見せる)」のはほとんどそのまま国内政治での有利に繋がる――と思っているだけで実際に繋がるかは別問題ではある――という所だと思うんですよね。
かくして政治家たちは、他ならぬ私たち有権者の支持を期待して、しばしば、中長期的な国益ではなく「相手に勝つ」ことに目指すことになる。
ついでに国際社会から反発されることで自国に多少の『危機』が生まれることは、こちらもしばしば指摘されるように、『旗下結集効果』も期待できるし一石二鳥ですらある!


ということで国民感情に沿って「相手に勝つ」ことを目指すのは二重の意味で国内政治的メリットがあると思うんですよね。
こちらも木村先生がよく指摘しているお話ではありますが、実際には支持率には影響がないかもしれない。しかしそれでもその賭けに出ることに対しての大きなリターンがあるならば、「支持率が駄目になるかならないかなんだ、やってみる価値はありますぜ!!」とアクシズを押し戻そうとしたって不思議じゃない。それこそパスカルの賭けのように。
それをやることで不満を持つ相手国との妥協拒否で強い政府のアピールと、仮に失敗しても危機が生まれれば政治的に無茶ができるメリットがある。
一方でデメリットといえば、国益を損ねること「せいぜい」同盟関係にヒビが入ることでしかない。そして上記のように、それはそれで国内政治的にはワンチャン歓迎すべき事態でもある。
日韓問題~日本は韓国に譲歩するべきである(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース
でもしかたないよね。民主主義政治にとっては、相手に譲歩したって、国益を追求したって、次の選挙で勝てるかどうかは別問題なんだもん。まさに国どころか地域全体を救ったのにあっさり選挙で負けたチャーチルのように。


いやあ国益よりも国内政治を優先だなんて、日本や韓国ってなんて愚かな民主主義政治国家なのだろうね。
(トランプを選んだアメリカや、ブリグジットを選択したイギリスに目をやり)
いやあ民主主義政治というのは何て愚かな政治制度なのだろうね!


そりゃ歴史も終わらないし、21世紀になって中国的民主主義が勃興するのも無理はないよねえ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?