にほんのへいわしゅぎはすばらしいなぁ

その平和の射程は何マイル?



戦没者追悼式の首相式辞、加害責任に触れず 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえば68年目の終戦記念日だったそうで。なにはともあれ、紆余曲折あったにせよこの68年間戦争をやってこずにこられたのは一つの成果として誇ってよろしいのではないでしょうか。
しかしまぁ「アジアへの反省」に触れないことの是非はともかくとして、そういうことが焦点となっている時点でいつもの日本の『平和の誓い』らしいお話ではあります。別に今年に限ったお話では絶対にないんですが、今年もまた日本の平和のあり方について毎年のようにこうして議論される一方で、遠く離れたシリアのような地では死者が現在進行形で10万人を越え尚も増え続けているのは、まぁなんというか、これほどシュールな光景もないよなぁと。
あれから68年。冷戦が終わっても尚、良くも悪くも、幸か不幸か、私たちはアジアへの反省とか言いながら結局の所自分たちさえ平和であればそれでいいというポジションをどうにかこうにか護持することができている。
そして今年もまた――日本の、日本による、日本のための――『平和への誓い』が粛粛と成されるのでした。今年もまた「日本は」平和でよかったね。おわり。




それこそ日本の現政府のウケイカ軍国主義への批判はあっても、野党からも、マスコミからも、そして一部平和をすごく愛する人たちからも、しかし現実に『平和』が、既に、完全に、最早、失われてしまっていると知っているはずのシリア内戦に関しての日本政府の不作為に関して責められたりそれが大きな議論になることはない。あるいはイラク戦争に反対し、派兵に反対してみても、アメリカが撤退したことで内戦一歩手前にまで陥っているイラクアフガニスタンの惨状については、ほとんどまったくその日本の役割について責める人はほとんどいない。
この情報革命を謳歌する時代にあって、日本でも『アラブの春』がああしてよく解らない連帯感と共に騒がれたように少なくない人たちだって、兵士たちだけでなく無残な虐殺の対象となっている子供や女性という、その事実を知っているはずなのにしかしいざその後の『平和』のことになると全く沈黙してしまう私たち。


でも仕方ないよね。だって他人事だし。それは日本の私たちの責任の範疇じゃないもん。敗戦国たる私たちはそんな世界の平和など知ったことではない。


一部の人たちが特に注視する東アジアなどの近隣諸国についても自分たちに「直接」関連しない限り何か日本が自発的にすることはないのだから、まさか中東やアフリカでどれだけ人が死のうが別に何かアクションを起こすことなんてあるはずない。
その意味で(一部)近隣諸国の感情なんて知ったことではないと言う人たちも、こうして中東やアフリカで平和と安寧が失われ何人死のうが関心を持たない人たちも、立ち位置としてはあまり違いがないと思うんですよね。結局の所、右にしても左にしても、どちらにしても彼らは自分たちさえ平和と安寧を享受できればいいと確信している。
だって遠く離れたシリアで何万人死のうとも、日本の平和主義には何の影響もないから。シリアの平和は日本の平和とは無関係であるから。
――自分の国さえ良ければそれでいいから。
でも、そうした自国中心主義はぶっちゃけナショナリズムの一形態としては結構ありがちな光景ですので、別に日本のこうした態度が世界的に見て殊更にユニークなわけではないでしょう。でもまぁそれを『平和主義』と称しちゃうのはそこそこ新しいかもしれませんよね。そうやって私たちは68年に渡る平和と安寧を手に入れた。それを推進すること自体は別に構わないんですが、しかしそんな日本流の平和主義は素晴らしいとあけすけに世界に広めようとするのは、まぁあんまり自慢できるようなことでもないような気はするのでそう意気込む人たちを見るとちょっと恥ずかしくなってしまいますけど。



別に皮肉な話ではなく、本当に現実主義の観点からこれほどベターやり方はそうないんじゃないかと思います。世界がどうであろうがひたすら最低限のコストで自身の国益=平和を追求しようとする態勢。いつまでこんなことが続けられるのかは解りませんけども、まぁ出来るだけ長く続けばいいよね。
いやぁ日本の一国平和主義ってすばらしいなぁ。