化学兵器は撃たれ続ける、されど止まらず

イラク戦争の教訓を正しく守ろうとしている人びと。



シリア「化学兵器攻撃」目撃者証言、青ざめた窒息遺体 吐き気や目の痛みも 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
シリア政府軍攻撃、被害者の症状は「神経ガスと一致」 専門家ら 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで再びシリアでの化学兵器騒動です。でもまぁ「これまで」何も進まなかったのだから、今回に限って進展があるとはとても思えませんよね。もうこれまで何度か繰り返された茶番が再び演じられるだけ。

国際メディア「シリアで化学兵器だ!」
反政府派「これは間違いなく政府軍のしわざ!」
シリア政府「いやぁ、知りませんよぉ、反政府軍のしわざじゃないっすかぁー?」
ヨーロッパ「これはもう国連による現地調査しかない」
アメリカ「調査が必要かどうかの協議が必要だな」
ロシア&中国「シリア政府の同意がない調査は認めない」

ここまでテンプレ。
でもまぁなんというか、ここまで続くとまったく異常事態感がありませんよね。「またか」という日常の一部なだけ。おそらく現地では、ものすごく身も蓋もないことを言えば、それこそ通常砲弾で死のうが化学兵器で死のうがどっちみち死ぬことには変わりない、という地平にまでたどり着きつつあるのでしょう。日常とはまったく違う論理・価値観が支配する戦場。
でも、私たちは見ているだけ。


さて置き、そうして傍観することについてこれまでの日記では、散々批判的なポジションから書いてきましたけども、正直それも仕方ない面もあるのかなぁとは思うんですよね。
――だってあの時、2003年のイラクでの『大量破壊兵器疑惑』の時、アメリカの単独行動を批判するほとんどの国はまさに今シリアで尻込みしている現状をそのまま正当化できるような言葉でアメリカを非難していたわけだから。
「何故、国際社会の同意を得ないのか」
「何故、アメリカはもっと慎重にやらないのか」
「何故、戦後のイラク復興について考えナシに攻め込んだのか」
あの時の言葉が、10年経って見事にこうしてブーメランとして帰ってきている。まさにあの時の非難を今シリアの現状で鑑みた場合、そりゃあここで動くわけにはいきませんよね。それでも疑惑という段階は過ぎ、最早そこに「ある」のは確実でしょう。しかしだからといってシリア介入後の責任まで背負えるわけがない。もしここで国際社会がなけなしの『善意』を振りかざしシリアの大量破壊兵器の拡散抑止の為に動いたら、確実にそれはアメリカの、有志連合の二の舞となってしまうだろうから。


イラク戦争が間接的に証明したことの一つに、大量破壊兵器の拡散抑止を目的としての予防戦争についてそのコストが途方もなく(それこそ二度とやろうと思わないほど)高くつく、という点があるわけですよね。
皮肉にもあのアメリカの失態は、武力行使のハードルを果てしなく上げることになった。世界の人びとはあの愚行によって、大量破壊兵器を抑止する為の戦争がバカげた行為であると気づいたのです。それはまぁ仕掛ける側だけでなく、仕掛けられる側にとっても同様に。そう、幾ら圧倒的な通常兵器を持つアメリカであろうと、今後はもうそこまで無茶なことはできないだろう、だから化学兵器を多少ぶっぱなしてもお咎めはないだろう、なんて。
もしイラク戦争が万事成功裏に終わっていれば、まったく現在のシリア内戦の行方は違っていたかもしれない。しかしそうはならなかった。アメリカは見事に、無様に、完璧に失敗した。そしてそのことを世界中の人びとが一部始終目撃した。
――かくしてその愚行の反省に立った上で、一方の側ではシリアでは何もしない方がいいということが「合理的に」判断され、もう一方の側ではアメリカが動かなければ多少の無茶は可能だろうと「合理的に」判断されている。




中露の反対に甘える形で積極的に動こうとはしないアメリカに、(実際の軍事力という点では)まったく無力なヨーロッパ。構図としては国際社会が一致していると言えなくもない。国際社会の善意のエアポケットがまた一つ。
あれだけ『大量破壊兵器』について熱心に議論された時代はもう過ぎ去ってしまった。ポストイラク戦争の時代について。おそらく、もう戻ってこないかもしれない。


化学兵器は撃たれ続ける、されど止まらず。
さて、残りの『大量破壊兵器』もこれと同じ顛末を迎えることになるのでしょうかね?