適者生存の果て

なまじ可能性があるだけに余計救われない。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38809
タイラー・コーエン先生の新著からのお話。

 コーエン氏の新著は、月並みな仕事と幅広い繁栄が大方失われた未来を描いている。米国人の上位10〜15%のエリートは、未来の技術を習得し、そこから利益を引き出す頭脳と自制心を持つ、と同氏は推測する。

 エリート層は莫大な富と刺激的な生活を楽しむ。一方、それ以外の人たちは、雇用主が従業員の生産活動を「過酷な厳密さ」で測定するため、賃金の伸び悩み、あるいは減少に耐え忍ぶことになる。

 中には、富裕層へのサービス提供者として成功する人もいる。少数の者は、努力してエリートの仲間入りを果たし(安価なオンライン教育は格差を平準化する偉大な装置になる)、「超実力主義」が機能しているという考えを裏付ける。これが「取り残された人たちを無視することを容易にするだろう」とコーエン氏は言う。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38809

アメリカだけでなく現在に日本にとっても概ね合ってる気がしてしまうあたり、まぁとても気の重くなるお話でありますよね。この構図のおっそろしい点は、上記引用の最後にある「一応は」実力主義が機能している、というとても救いようのない事実にあるわけで。


市場原理の結果としての『賃金格差』 - maukitiの日記
これまでの日記でも何度か書いてきたお話ではあるんですが、結局のところ、何故一部エリートたちの給与が果てしなく高騰を続ける一方で、逆に普通の労働者たちの給与がせいぜい現状維持か下落し続けているのかといえば、それはもう単純にその提供するスキルの需給の差が激しくなっているわけであります。
現代のCEOたちが何故ああも次元の違う給料を貰っているのかといえば、ほとんど身も蓋もなく、その職に着けるだけの能力や実績を持った人間がそもそも少ないからこそああして給与は高騰していくわけで。一方の「平均的な」労働者にとってはリンク先でも指摘されているように、誰でも実現可能なスキルはグローバル化や機械化によって、その供給者=労働者たちには益々厳しい状況になっていく。
機械化の果てにやってくるのは失業ではなく転職 - maukitiの日記
もちろん機械化が単純に仕事を奪うだけでなく長期的にはそれに伴って新しい市場が興ってきているわけでもあるんですが、しかしそもそも平均的な能力しか持たない大多数の私たちにとってそんなすぐに新しいスキルを手に入れ適応できるわけもなく。結局そこでも先見の明のあるエリートたちこそが真っ先に適応することになるでしょう。そしてそこでは幸運な少数の者が成功し成り上がる。


かくしてこんな風に耳の痛い言葉が吐かれるようになるのです。でもまぁ個人主義大好きな日本ではそこそこ受け入れられるのかもしれませんね。
君が救われないのは社会が悪いのではなくて、努力が足りないからではないのか? なんて。




多分次回に続く。