上位20%と下位20%が動かす政治

昨日の続き的なお話。


適者生存の果て - maukitiの日記
ではそんな余りにも『適者生存』な世界で、少数のエリートな成功者と大多数の「普通な」敗北者たちとで二極化していく世界で、アメリカンドリームも国民総中流という幻想も消えゆく世界で、果たして民主主義政治はどうなっていくのか?

 コーエン氏は保護主義については心配していない。海外に移管できる仕事の大半は既に海外に行ってしまったためだ。同氏は、社会が混乱状態にあった1960年代後半は所得均衡の黄金時代だった半面、中世を含め、歴史上極めて不平等だったいくつかの時代は安定していたと指摘する。

本当に暴動は起きないのか?

 コーエン氏のビジョンのごく一部だけが現実になるのだとしても、同氏は極分化の政治を楽観し過ぎている。世代間の緊張は1960年代の混乱に拍車をかけたし、今度は乏しい資源を巡る経済競争という形で猛烈な勢いで戻ってくるだろう。

 中世が安定していたのは、農民が投票できなかったことが一因だ。対照的に、不満を持つ近代の有権者は、外国人嫌いから金持ち重税、あるいは厳しく自滅的な犯罪取締政策など、単純な解決策を触れ回るデマゴーグの餌食になる。だが、コーエン氏の主要な論点は妥当だ。とてつもなく大きな変化が起きており、その流れは止められないかもしれない、ということだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38809

というと、コーエン先生は著書の中で高等教育の普遍化(=機会の見かけ上の平等)によって「持たざる者はビデオゲームに夢中になり過ぎて、本物の火炎瓶には火をつけない。また、高齢化する人口は保守的になる」とむしろ安定化していくと考えているものの、一方のエコノミストさんの評論では「やはり不平等は政治的不安定を招来する」と述べております。
果たして一体どちらが正解なんでしょうね?




まぁ個人的な気持ちとしてはやっぱり前者の方だったりするのかなぁと。




結局その政治的対立って、上記リンク先で述べられているアメリカの民主党共和党の対立がそうであるように、まぁぶっちゃけどちらかが正解というわけですらないんですよね。どちらもその諸悪の根源であると非難していても、しかしその解決策については言葉を濁すしかない。だってそれは昨日の日記でも書いたように、現代世界にある傾向そのものなんだから。より稀少性の増していくエリートたちの能力の一方で、ごくごく普通の能力しか持たない大多数の労働者たちはひたすらにグローバルな人材供給と進歩し続ける機械化に追われることになる。
まぁもしこれがゲームであれば、先鋭化して一部上級者だけが適応し初心者達を切り捨てて言ったかつての格闘ゲームSTG音ゲーのように、クソゲーと見捨てていけばよかった。
あるいは『政治』によってそれを変えていくことさえできれば何か変わったのかもしれない。


ところが、現代日本アメリカでも見られるように、この場合の政治的風景で起きるのは――おおよその数字で言えば――上位20%層の対立と下位20%層の対立でしかないんですよね。より安定した生活こそを望む60%な中間層の声は、現代の民主主義な政治風景においては掻き消されてしまう。かくしてほとんどどこの民主主義国家でも多かれ少なかれ見られる、エリート主義とポピュリズムの対立、という光景が現出する。
もちろんそれが全く無駄であるとは絶対に言いませんが、そこで議論されるのは大抵の場合既に勝負のしようのない高齢者や、あるいはハンデを抱える人びとへの救済であるわけで。そもそもの現状のルールの根本的な改正については、上と下20%人びとの対立構造においては、ほとんど議論されることはない。
実際、それなりに、そのルールは平等にできてはいるのです。確かに先進国においては成功する為の機会=教育を受ける権利と言うのは、それなりに整備されてはいる。ただそれで実際に結果を出せるかどうかはまったくの別問題である。もう大学を卒業していれば将来安泰なんて時代はもう二度とやってこない。その最低限のラインはそれよりもずっと遥か上にまで登っていってしまった。
それはある意味で当然の帰結なんですよ。一般化したものは価値がなくなっていく。「安価なオンライン教育は格差を平準化する偉大な装置になる」というのはおそらくその通りで、その後にやってくる世界と言うのは、その中から更に選ばれた成功者たちの物語でもある。


なまじそのルールが上手く出来ているだけに、反論し否定することが難しいシステム。超実力主義。更に救えないのは、そもそも今立っている場所というのは誰もが勝者になれると夢見た世界であったはずなのです。誰もが豊かになるチャンスのある世界。しかし蓋を開けてみれば実は誰もが敗者になれる世界でもあった。
まさか私たちが夢見た世界がこんな有様だったなんて。