僕たちはついてゆけるだろうか、民主主義のない世界政府や国際機関のスピードに

当日記でも頻出テーマでもある『民主主義の赤字』問題が私たちの眼前に。


元英首相が「世界政府」を提案 新型コロナ、医療・経済危機に対応:時事ドットコム
イギリスの元首相から愉快な発言があったそうで。

報道によると、ブラウン氏は「これは一つの国で対応できる問題ではない。協調した世界的な対応が必要だ」と指摘。まずは医療で緊急対応が必要だとしながらも「医療に介入すればするほど、経済を危機にさらすことになる」と述べた。
 その上で、強い権限を持つ世界的な「タスクフォース(特別作業班)」をつくり、ワクチンの共同開発のほか、中央銀行による金融緩和や政府による財政出動での協調、新興国からの資本流出の阻止などに取り組むよう求めた。

元英首相が「世界政府」を提案 新型コロナ、医療・経済危機に対応:時事ドットコム

うーん、これは未来の天竜人。
EU離脱したオマエが何を言うとるねん、というベタなツッコミが思わず浮かんでしまうものの、でもまぁ言いたいことは真っ当だし同意できるんですよね。
――実現不可能だという点を除けば。


今回のコロナ騒動に始まる前から、「単独主義では解決できない問題がある」というのは特に冷戦以降グローバル化が進んだことで、様々な問題が世界全体という射程を持つようになったことで国際関係の分野でもずっと議論されてきたネタでもあるわけで。
結びつきが深くなった世界経済はもちろん、国境を自由に越えるテロリスト問題、気候変動などの環境問題、そして今回のコロナのように人の移動の自由がより広がったことによる公衆衛生という面でも。


しかしこちらも同様に当時からずっと言われていたように、「国際機関に権限を与えすぎれば、政策決定の過程における民主主義が失われる」という不可避な構図があるわけですよ。
これは国際法規でも同様で、その中身自体がどうというよりは、その制定過程に私たちの民意が反映されにくいのが問題とされているわけでしょう。
ザ・民主主義の赤字。


本邦では概ね他人事だったこの問題が見事に表面化しているのが、このタイミングでWHO事務局長を務めているテドロスさんの反発、でもあるわけで。
WHOテドロス事務局長の辞任求めネット上で署名活動 | NHKニュース
あの人って私たちが「選挙」で選んだわけでは絶対にない、にも拘わらず私たちの生命財産を文字通り左右しかねない重要過ぎるポジションについている。
――一体誰が彼を選んだの? 
――そして彼に不満がある場合、どうやって辞めさせたらいいの?
個人的には普段はネットでやってる「署名運動()」にあまりポジティブなイメージを持っていないんですが、しかしこの場合に限っては一定の説得力があると認めざるを得ないんですよね。
だって私たちが選んだ政治家を辞めさせるようには、彼を辞めさせることができないから。
そこには政治的透明性や説明責任といった私たちが愛している民主主義的原則はまったく存在していない。


21世紀の現在になっても尚、多くの国際機関に強力な『権限』が与えられない理由の一つはここにあるんですよね。
そこに強力な権限を付与するという事は、政治的正当性と説明責任を重要視してきた「現代的な」私たちの政治意識と対立することになる。
欧州連合も基本的にはこの構図から逃れることができておらず、そこを「ヨーロッパ統合!」という大義名分一点突破でやってきているわけですけども、まぁブリグジットや極右政党台頭などのその歪みが表面化している現状を見ると色々お察しだよね。




こうした疑念をずっと抱いてきたのが、世界の良識ある人たちから「孤立主義」「単独行動主義」と批判されてきたアメリカだったわけですよ。
アメリカが『スーパーヒーロー症候群』をやめるにやめられない理由 - maukitiの日記
しかし私たちが今テドロスさんへ怒りを抱いている現状を考えると、彼ら彼女らの意見にも一理あるかもしれないとちょっと同意してしまう状況になってきたのはほんと面白い歴史の逆回転だよなあと。
上記日記でも書いたように、これまでの大統領と違って、むしろトランプさんはそうした不信感を「煽っている」のがやっぱり新時代を生きているんだなあ感。


そこれそ現状の私たち日本人だって「ほら、WHOは信用ならないだろ!!!」と言われたら、少なくない人たちが同意してしまうんじゃないかな。
今回のコロナ騒動で、私たちの日本社会にある言説で、特に大きく変わった一つはこの部分なのだと個人的に思ってます。
それはかつて「孤立主義」「単独行動主義」と笑っていた、『9・11』後のアメリカの姿でもある。


もし「世界政府」のようなモノができるとしたら、
そうではなくてもコロナや気候変動で「強制力のある国際協力」が本当に実行されたとき、
私たちは今見ているWHOとテドロスさんへの不信をより多くの場面で目にすることになる。




そのことに私たちの民主主義的意識は耐えられるだろうか?
それともあっさりリベラルな民主主義的手続きを手放し、やっぱりアレは『歴史の終わり』ではなかったのだという事を証明することになるのだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?