「ひとつのアメリカ」ではなく「正義」を選んだオバマさん

民主主義政治において、どうしても説得できない少数派の人たちを無視することは許されるか?




http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38985
そういえば昨日の日記で書くのを忘れていたネタ。それでも彼らは支持される。

 ひょっとしたら、オバマ氏の2期目はずっとこんな調子になるのかもしれない。しかし、希望はあくまで希望であって、戦略ではない。ティーパーティーは数千万人の有権者の意見を代弁している。その有権者の大半は都会ではない町や村に住む白人の中高年で、自分たちが苦労して手に入れた蓄えをオバマは、援助を受けるに値しない若い世代の米国人に再分配していると考えている。

 そんな怒りを抱いた彼らの疎外感が、利己的かつ破壊的な政治がワシントンで展開される原動力になっている。しかし、ティーパーティーは決して馬鹿ではない。考えてみれば、今日までに行われた米国内の予算の削減――かなり大幅な削減――はすべて若い世代が負担する形で行われている。メディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)や社会保障給付は手をつけられていない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38985

個人的な彼ら茶会運動という存在を見るポジションとしては、まぁかなり同意するしかないお話だなぁと。結局のところ、幾ら彼らをバカだと嘲ってみても、しかしそもそも彼らは選挙を通じて「それなりに」有権者たちから支持されているという事実があるわけで。ああしたアメリカ政府を機能不全に陥らせておいて、それでも尚、彼らは地元選挙区では支持がある。
このどうしようもない事実の前に、では、オバマさんが一体取るべき戦略とはなんなのか? ということが問われているんですよね。そしてこの構図において――ティーパーティが馬鹿かどうかという事実はさて置いて――オバマさんのやり方は適切だったのか、というところがまた議論されるべきお話であると。



現在のお話で皮肉なのは、まぁオバマさんの大統領就任時にもっとも期待されていたのが「ひとつのアメリカ」を構築することだったんですよね。ところがオバマさんはそれよりも『オバマケア』という正義を追求することを選択した。まぁ確かにそれ自体は、おそらく、現代世界における価値観として正しいことでもあるのでしょう。国民すべてに保険を。
かくしてオバマさんはその『オバマケア』実現のために、合意形成ではなく、正義は正義であるからと多数派支配している議会を使ってゴリ押しした。
ただやっぱり万人全てに受け入れられる正義なんてモノも存在しないわけで。主流である正義に置いていかれる人たちは必ず存在する。この構図においてある意味で不幸なのは、なまじそれが実現できるだけの議会勢力がオバマさんにはあったという点なのだろうなぁと。そもそも、一期目にあったような、両院を支配するという米国政治史でも珍しい構図が手に入らなければ、こうしてゴリ押しできる選択肢そのものがなかったはずなのに。でもそうした圧倒的な議会支配というのは例外であり、むしろアメリカではゴリ押しなんてとても実行不可能な均衡状態が日常風景ですらあったわけで。
ところがオバマさんにはそれが可能なだけの状況があり、そしてそれを実行に移すだけの意思もあった。
そんな状況というのが、そもそもその政治的影響力は本来は「ひとつのアメリカ」を期待されて手に入ったものだったということを考えると、やっぱり皮肉な構図だよなぁと。




「ひとつのアメリカ」ではなく「正義」を選んだオバマさん。
まぁその是非――こうして決定的に分断させるだけの価値があったのか、どうかなんて判断をすることは当事者ではない僕にはまったく言うことはできませんけど。それは歴史が判断するのだ、とかかっこいいこと言っておけばいいんじゃないかな。