18歳と20歳の投票意識差の概算

結局「印象」で判断するしかない平凡な私たち。


成人年齢「18歳」に7割反対 「意識レベルが相対的に低すぎる」の声も | ハフポスト
親権年齢引き下げ 反対が69% NHKニュース
そういえば国民投票のが18歳引き下げの議論が進んでいるそうで。

一方、▽「反対」と答えた人は33%▽「どちらかと言えば反対」は36%で、合わせて69%に上りました。
反対の理由を複数回答で尋ねたところ、▽「経済的に親に依存しているから」が58%▽「自分自身で判断する能力が不十分だから」が56%でした。
憲法改正の手続きを定めた国民投票法の改正を巡り、成人年齢の引き下げが議論されるなか、親権年齢の引き下げに反対の割合は5年前の調査と同じでした。

親権年齢引き下げ 反対が69% NHKニュース

しっかし反対理由が愉快ですよね。
別に世代間闘争や老害と煽りたいわけではありませんけども、敢えて危険球を投げようとするならば、そもそも「経済的自立」なんて言ったらじゃあ脛を齧るニートや専業主婦や生活保護年金生活者がきちんと経済的に自立しているのかというとそれはそれで以下略だし、そしてもっと愉快だと思うのは「18歳だと自分自身で判断する能力が不十分だから」とかいう理由。その『能力』を判断基準にしたらそれこそ基本的人権への挑戦じゃないのかと。
更に言ってしまえば、別に18歳だろうが20歳だろうが能力なんて変わらないどころか、日本におけるほとんどの成人が――現代における世界中の民主主義国家の有権者が「正しく」投票できる能力があるなんて、胸を張って言うことだってできないとも思うんですよね。
だからこそ個人的には、今回の年齢引き下げが投票結果への趨勢に影響あるとは思えないわけで。




そもそも論を言ったら現代民主主義国家における国民投票――別にこれは私たち日本に限った話ではなく――ってまぁ必ずしも上手く機能しているわけではありませんよね。もちろんだからといって破綻しているとも言いませんが、どうにかこうにかギリギリ維持運営できている、という感じです。
間接投票ならばともかく、それこそ欧州連合をめぐるヨーロッパ各国の一連の直接国民投票を見れば解るように、しばしば国民投票は「現政権の信任・不信任」なレベルに陥ってしまう。現政権の支持率が高ければ概ね賛成されるし、逆に政権支持率が低ければその中身がどれだけ真っ当であろうとも否決されてしまうことが、間々ある。
本来社会の構成員にとってもっとも重要な議論を決着させる為の最終手段はずが、しかしそれすらもお馴染みの政争の具にされる国民投票直接民主主義のもっとも大きなデメリットの一つ。衆愚政治なんていうと、あまりにもぶっちゃけすぎですけど。
そんなのヨーロッパが特別にバカなだけで、日本はそうならない、なんてまぁとても言えない。


近い将来あるかもしれない私たち日本の『憲法改正』についても、その是非はともかくとして、そんなヨーロッパと同じ道を通ってしまう可能性はやっぱりかなりあるんじゃないのかと。ぶっちゃけ賛成派反対派が何を言おうが、結局のその時の政権支持率こそが趨勢を決める。
大体、複雑怪奇な欧州連合条約の中身や、日本国憲法の改正についてなんて私たちただの素人にとって難しすぎるんですよ。それこそ「読み方」についてすら専門知識が大前提として必要とされるのに、ましてやその改正の可否を判断するハードルは絶対に低くない。それを国民のに丸投げされても、少なくともその複雑な諸問題や背景をそこまで理解でいているわけでもない僕のような市民にとって、途方にくれるしかない。
その頼みの綱であったマスコミの皆さんはご覧の有様だし。
セイジッテムズカシイヨネ - maukitiの日記
以前の日記でも少し書いたお話ではありますけども、政治にしろ経済にしろ社会問題にしろ、限りなく複雑になり且つそれぞれが絡み合う現代社会にとって、日々の生活に追われるただの一般市民がその問題を俯瞰し正しく「投票」できるなんてそれこそ幻想であり、ただのキレイ事でしかないんですよ。
少なくとも僕には、最早ただの一国の経済政策ではどうにもならない現代国際経済における適切なマクロ経済政策や、長期的に維持可能な社会保障制度の将来設計や、あるいは真に公平な選挙制度なんて、ぶっちゃけその正否を判断できるなんて能力なんて絶対にない。もちろん自分にはそれをきちんと判断できるし、それをやらないなんて一市民として不勉強であり怠慢だ、という正論を述べる方は仰るでしょう。しかし、そんな能力と時間を用意できる人間は絶対に少数派だって、こちらも断言できます。
かくして現代民主主義国家に生きる大多数の私たちはほとんど場合、誠実そうだとか見た目だとか第一印象だとかいう曖昧な判断基準で投票する。そうするしかない。間接投票だろうが直接投票だろうが、各人のリソースの限界故にそうする以外にない。こんなのは民主主義の走りであるヨーロッパからアメリカだってそうなんだから、いわんや日本でも同じでしょう。それを子細に検証する能力も暇だってありゃしない。
全然『アラブの春』を笑えないし、一党独裁たる中国さんちの民主主義への嘲笑を無視できない、先進民主主義国家たる私たち。



議員を選ぶ間接民主主義だってそうなんだから、直接にその諾否を問われたら、私たち有権者は一体どうやって判断すればいいの?
――こんなの18歳であろうが20歳であろうが、どっちにしたって無理なんじゃないのかと。
現代民主主義社会に生きる私たち有権者の能力の限界について。18歳とか20歳とかで議論されていますけども、ぶっちゃけこちらの根本的問題に比べたら大した問題じゃないよなぁとやっぱり思ってしまうんですよね。
かくして、そんな18歳と20歳の能力差でわけるなんて、現状の投票行動を見る限りまぁものすごく愉快で皮肉なお話よなぁと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?