ギリギリでいつも生きていたいから

タイトルオチ。


エネルギー節約技術の進歩がエネルギー消費の減少につながらない理由 - himaginary’s diary
ということでhimaginary先生の所で興味深いお話が紹介されていたので。先進国の省エネ技術を単純に新たに「先進的生活」へとやってくる人びとへ供与しても上手く行かないよ、という身も蓋もないお話。

(拙訳)
今日の発展途上国は、富裕な先進工業国が同様の発展段階にあった時には存在しなかったエネルギー節約技術を利用することができる。これらの発展途上国が今後発展を遂げていく際、一人当たりのエネルギー消費量は、今日の富裕国が同様の発展段階にあった時に比べて少なくて済むのだろうか? 今日の発展途上国は、北米、欧州、日本が過去に経験した高エネルギー消費パターンを経験することなしに、低炭素社会に「一足飛び」に到達できるのだろうか?

エネルギー節約技術の進歩がエネルギー消費の減少につながらない理由 - himaginary’s diary

「で、やっぱりだめそう」という結論であると。
それは先進国で起きた変化がそうだったように、後進国の人為的な技術供与でも同じなのだと。このお話ってどっかで見たことあるなぁと思ったらうちの日記でも以前書いた、消費量の増加は常に効率化を上回る、という所謂「ジェヴォンズの逆説」「ブーメラン効果」なそれと近接したお話ではあるのかなぁと。
省エネを目指し効率を良くすると、しかし全体の消費量は増えていく、というジレンマ - maukitiの日記
私たちは幾ら効率化を追求しても、結果として起きるのは(効率化故の)全体の消費増である。
ともあれ、元々こうした技術援助というのは単純に技術だけをホイホイ渡して――というかそれでさえハードルは結構高い――解決するわけでもなく、しばしば、それを途上国などで常用できるようにする為には更に大きな包括的な支援策が必要なるんですよね。先進国同士の技術移転でもよく言われることでありますが、単純に技術さえあれば言うのかというとそんなことはなく、むしろそんな維持運用ノウハウなどの周辺パッケージも同じくらい重要なわけで。しかしそうやって規模が大きくなっていくと必然的に、それに掛かる費用も膨らんでいく。
――かくして一体誰がそんなカネを支払うのか? という南北問題お馴染みの日常風景にたどり着く。


解決策としてはありきたりではありますが、やっぱりこの辺なのでしょう。

「エネルギー効率性が好ましい理由は多々ありますが、それだけで炭素排出を引き下げることはまずできません。それは、『キャップ・アンド・トレード』[イニシアチブ]ならびに/もしくは排出税と組み合わせる必要があるのです。」

エネルギー節約技術の進歩がエネルギー消費の減少につながらない理由 - himaginary’s diary

改めてこのお話を考えてみると、まぁよくある「共有地の悲劇」な構造ではあるんですよね。だからこそ幾らエネルギー利用を効率化したところで、ではその効率化によって減らされた排出分=余裕となった分は、当然の如く別の何かで余計に排出されるというだけ。現在の先進国に住む私たちの生活風景を見れば一目瞭然であります。電化製品をはじめとして、生活を支える様々な機器のほとんどすべてはかつてとは比べモノにならないほどに省エネ化した。でもその一方で、一個人あたりが消費するエネルギーは増大し続けている。その省エネ化が絶対に無駄だとは言えないけれども、しかし余裕が出来た分は必ず新しい何かを求める人びと。
後からやってくる人たちも、同じ道を辿らないわけがない。
その新しく生まれた余裕の『所有権』にまで踏み込んでいない故に、当然の結果としてその効率化された分は更なる消費にシフトする。いつだってギリギリの所まで攻めながら生きようとする私たち。



結局、現在進行形でそんな移行期のまっただ中にある中国さんちなどを見ていると、良くも悪くも、彼らも先進国たる私たちと同じ過程を辿るのは確実なのだろうなぁと半ば諦め半分に思うしかありませんよね。おそらく彼らも私たちがかつて通った道と同様に、徐々にその声は大きくなっているとはいえ、それでも彼らは当面の間ひたすらに成長のみを重視する。
一般に「所得の大きさ」と「大気汚染の度合い」はほぼ完全にリンクしているわけで。そのグラフはある程度(数千ドル)の所までは一様に伸び続け、それを越えると以降所得が延びれば延びるほど今度は大気汚染の度合いも減っていく。彼らは便利さと平等と成功と進歩の象徴である「車」をひたすら求め続け、いつしか増えすぎた車による公害に悩むようになり、それからようやく政治的に右往左往しながらどうにか抑制する。
ただ、こちらも一般には、こうした構図は市民の声を拾い上げる機能を持つ民主的社会であればあるほど上手いこと修正されていくんですよね。だからこそ民主的社会では是正される。ならば現代中国さんちではどうなのかというと以下略。


まぁ端から見るとあまりにも場当たり的ではあるんですが、他ならぬ私たち自身でさえそうであったのに、やっぱりそれを笑うことなんて出来ませんよね。
がんばれ人類。