『美談』を売りにして成功する人、失敗する人

顧客の世界観に適ったモノを売る人たち。



佐村河内守だけが悪いのか? - 朝日新聞社(WEBRONZA)
へー。今日の「お前が言うな」ニュース。

 「全聾(ろう)の作曲家」「現代のベートーベン」などと呼ばれていた「作曲家」佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50)が、実は「ゴーストライター」に作曲を依頼していたことがわかった。この事件が発覚して以来、CDが出荷停止になったり、公演が中止になるなど波紋が広がり、メディアでは一転して「偽ベートーベン」「詐欺師」などと厳しい批判が出ている。彼は確かに悪い。しかし、「ヒロシマ」や「ハンディキャップ」を売りにする音楽業界、音楽以前に「感動の美談」をありがたがる聴き手の側にも問題はないだろうか?

佐村河内守だけが悪いのか? - 朝日新聞社(WEBRONZA)

まぁ実際そう聞かれれば違うと答える人はやっぱり少なくないんじゃないでしょうけども、しかし確実に今回の構図においてもそうであるようにその背景を(無批判に)広めたのは彼らマスコミの皆さんの所業でもあるわけで。それなのに自分たちは棚にあげて、それどころか今回の件に限った話ではなく、ほとんど常に彼らはその構造の一端を担っておきながらこんなことをしゃあしゃあと言ってのけるあたりさすがではあります。
もちろんこの問い自体は、誰が言ったのかという要素に目を瞑りさえすれば、それなりに正当なものでもあります。結果として見れば、多くの人がこのクラシックの新星だの現代のベートーベンなどと「乗るしかないでしょうこのビッグウェーブに!」と盛り上がったのは間違いないわけで。




まず前提としてこの構図で理解しておかなければいけないのは、音楽業界の中の人たちがそれを利用したこと自体も、ついでに消費者がそれに乗ったということ自体も、それはそれで別に今回の件が例外なのではなくて現代のマーケティング手法としてはかなり一般的でありふれていて、つまり効果的でもあるという現実でもあるんです。
――今回の件で例外と言っていいのは、そのあまりにも劇的な『中の人』の暴露――出来過ぎた真相解明=爆死に至る経緯というだけなんですよ。
こうした『美談』を梃子にして売るやり方は、正しくマーケティング戦略に沿った冴えたやり方でもあるとすら言えるでしょう。有名なところではセス・ゴーディン先生による『マーケティングは「嘘」を語れ!―顧客の心をつかむストーリーテリングの極意』で描かれているような手法。営利企業たる彼らがモノを売るために正しく試行錯誤した果てにあるもの。商品そのもので売っていた時代から、ブランドを売る時代を経て、次はストーリーを売ろう、という現代のマーケティング戦略
そこで重要なのは、ターゲットとなる顧客がどのような世界観を持っているか分析し、その世界観に沿うような形でストーリーを提供できるか、という点であります。だから「感動の美談」をありがたがってしまうのは当然なんですよ。だって初めからそうなるようにストーリーをプロデュースしているんだから。それは何も万人に受けるストーリーである必要はなくて、むしろ少数でもいいから圧倒的に支持され感情に訴える美談であってもいいんですよね。その商品に纏わるストーリーに感動した人びとは、消費者としてその商品を買うことで自身すらもその物語の登場人物の一人となったような感覚を味わう。
そうして一部から支持されブームを巻き起こした物語は、やがて自己増殖――あの素晴らしきマスコミの手を通じて――標的の範囲外にまで広がっていく。
ちなみに、こうした『ストーリーを売る』手法の大成功例の極北があの有名な「努力・友情・勝利」な美談を持つ某国民的アイドルグループのストーリーであるわけですよね。しばしば彼女らたちはCDではなく握手権を売っていると揶揄されますけども、より正確に言うならばあの握手権は「彼女たちの物語への参加権」でもあるのです。それに参加することで、ファンたちは単なる消費者から彼女たちを主役とするストーリーの登場人物へと昇華する。ひたむきに努力する少女たちの物語に、欠かすことのできない登場人物へと。


だったら同じ音楽業界でやっているハンディキャップを乗り越える天才という美談やって何が悪かろうか。国民的な彼女たちをあれだけ持ち上げておきながら、この「ヒロシマ」や「ハンディキャップ」の試みを否定することはやっぱりフェアではありませんよね。結局、どちらもやっていることは同じだというのに。
問題なのは、そのストーリーが事実であるかどうか、ではないのです。ぶっちゃけ『嘘』であってもいい。両者を分けるのはそこではない。もしかしたら例のアイドルグループだって――こちらもしばしばアンチな人から囁かれるように――実際はただひたすらにコネと政治力の勝負でしかないのかもしれない。しかし、それでも、今のところその物語を根幹から覆すような致命的な矛盾は明らかにされてはいない。
顧客に気持ちよく美談を信じさせられるかどうかが勝負であり、つまり、どれだけ矛盾がない物語を創りあげることができるかどうか。


今回失敗した事例からも解るように物語の出来不出来にはもちろん差がありますが、でも物語の構造としてはほとんど同じと言っていい。商品を売るために感情に訴えるやり方。ある人たちはそんなアイドルを目指す彼女たちの努力を応援したくなるし、高校球児たちのひたむきなプレイに目を奪われるかもしれないし、ヒロシマの記憶の継承に胸を打たれる人もいるし、ハンディキャップを乗り越える姿に感動する人だっている、というだけ。
(商品を売るための)素晴らしきストーリーたち。
一方はそれを上手く創り上げられた故に大成功をおさめたものの、もう一方はその杜撰な設計故にこうして大失敗した。だから批判される。


ただそれだけ。