戦争をまた変える(かもしれない)第二の通信技術革命

また別の角度からの『首切り動画』のお話。



【AFP記者コラム】「イスラム国」の斬首動画が報道機関に突きつけた課題 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
当事者からの「生の情報発信」に怯えるメディア。その懸念は理解できますよね。まさに旧時代の悪弊として否定してきた『政府発表』をそのまま垂れ流すのとほとんど変わらないわけだから。でも他に選択肢はあまりない。

 ISは私たちを恐怖に陥れるために、前例のないやり方でネットを駆使し、私たちに挑んできている。もはやISの支配地域に取材に入るのは不可能に近くなった。つまり、ISが公開するプロパガンダのための写真や動画だけが、私たちがあの地域で何が起きているかを知る唯一の情報源となったのだ。

 それらは残虐で非人道的で、斬首やはりつけ、集団虐殺など、見るに堪えないイメージばかりだ。中東と北アフリカのハブ拠点であるキプロスニコシア(Nicosia)と、シリアの報道を率いるレバノンベイルート(Beirut)でそのような映像を分析する業務を担っているジャーナリストらは、大きな負担を強いられている。

 だが、それらの映像が情報を提供してくれるのも事実である。とくに人質が映っている動画は、生死の確認ができる。だから私たちは目をそらしてはいけない。それらを報じなければならないのだ。

【AFP記者コラム】「イスラム国」の斬首動画が報道機関に突きつけた課題 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

まぁこの辺は、日本でも一時期話題になっていたように前回のイラク戦争辺りでも言われていたお話ではありますし、尚も続くシリア内戦でもその戦闘動画のアップロードはかなり多かったりしました。そしてその構図は今回の『イスラム国』との戦争でも更に加速され、発信側と受信側の意識は当然視するようになり、やがてそれはプロパガンダとしての役割をも持つようになった。私たちが日常生活でも携帯電話の進歩を実感しているように、安価ながら高性能なテクノロジーを備えた通信機器が普及した、ある意味では当然の結果として。
その民生技術の進歩というのは、ぶっちゃけ軍事技術のそれと匹敵するか、それ以上の速さで進んでいる。
これはやっぱり「再び」戦争の様態を変えることになるのだろうなぁと。


そもそも――直接に軍事的意味ではなく副次的な政治的影響として――現代世界において通信技術が「戦争を変えた」最も決定的な事例というのが、あの『CNN』の登場だったわけです。「ニュース専門局」こそが戦争の持つ政治的意味を変えた。彼らが成し遂げた革命というのはその「速報性」にありました。彼らはまさに通信技術の進歩によってもたらされた能力を使って、戦争をダイレクトにリアルタイムで報道するようになった。
「ならば空爆がうまくいかなかったら、次はどうするつもりかね?」へのオバマ流解答 - maukitiの日記
先日の日記でも少し言及した「長期戦ができなくなったアメリカ」という点に最も大きな役割を果たしたのが、そんな戦争報道の変化だった。(まだCNNのなかった)ベトナム戦争を契機にして戦争目的に深い疑念を持つようになった人びとの疑念を、更に確信させる映像がリアルタイムでお茶の間に。その文章だけではない視覚に直接訴えるニュースはこれまでは考えられないレベルで『世論』に影響を与えるようになったのです。そこで犠牲者を出せば、ほとんど直接に国民世論は戦争目的に疑問を持つようになる。故にもう長期的な戦争は戦えない。
――その決定的事例の一つが、ソマリアで米軍兵士死体が引き回されるあの有名な映像の衝撃であり、まさにそれが直接の引き金となってアメリカはソマリアから撤退を決めたのでした。
だからこそ、別にアメリカに限った話ではなく、少なくとも報道の自由がそれなりに担保されている先進民主主義国家ならどこでも「長期的戦争など不可能」と言われるのです。そのリアルタイムで流されるニュースを目にして世論が戦争目的そのものに疑問を抱かないわけがないから。よくアメリカの政治家や軍人などが傍若無人に戦争をしているイメージが語られたりしますけども、実際の所彼らはそれはもう文字通り「死ぬほど」そんなマスコミの報道の与える政治的影響を恐れているんですよね。
そこでは良くも悪くも軍事的意味など些細なことでしかなくなってしまい、ニュースのインパクトは政治的影響となって政権を直撃するのです。そりゃオバマさんも地上軍派遣を拒否しちゃいますわ。


さて翻って、そんなリアルタイムなニュース速報よりも更に、第一次ソースな情報が直接に閲覧されるようになった現代。イスラム国の彼らがやっている『首切り動画』というのは、まさにそんな『CNN』などの成功を模倣したやり方でもあるわけですよね。その政治的影響力を目に付けたからこそ、その動画を乱発する。それは是非はともかくとして、まぁ合理的手法であると言うことはできるでしょう。
そんな風景を見て、既存メディアの彼らがかつての政治家や軍人たちと一周まわって同じように「自由すぎるニュース発信」に懸念を抱いているのは、まぁ正直愉快なお話だなぁと思ってしまいますけど。


果たしてそれは、21世紀の『戦争』に一体どのような政治的影響を与えるのでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?