いつもの「一家族を犠牲にして、一万家族を救え」な中国的風景

さすが毛沢東ドクトリンは今も色あせないぜ。


中国の水危機:壮大な新運河:JBpress(日本ビジネスプレス)
中国さんちの水資源管理について。

 解決策はシンプルだ。中国は水に適切な値段をつけるべきなのだ。水の料金は最近少し上昇したが、水が乏しい場所でさえ、水道料金はばかみたいに安く、その結果、莫大な無駄が生じている。

中国の水危機:壮大な新運河:JBpress(日本ビジネスプレス)

「料金を請求しろ」だなんて、まぁ身も蓋もないお言葉ではありますが概ね正論ではあるのでしょう。水不足だとずっと言われながらも、しかしこうした中国における格安な水道料金こそが、水資源の浪費や汚染の要因の一つだと言うのもまた同じくずっと言われてきたお話ではあるのでした。国連なんかが指摘しているように、水道料金には浪費を抑制するための適正料金(可処分所得の3〜5%の割合)というものが存在すると。
ちなみに中国さんちは1%位らしいですよ。ついでに日本もかなり安くて2%弱でしょうか。


ただまぁ上記でも言及されている『南水北調プロジェクト』のような中国の水資源管理というのは「一家族を犠牲にして、一万家族を救え」という毛沢東な言葉を見れば、まぁ伝統的でいつもの風景だと理解できるものではあるのです。彼らはそうやって世界でも類を見ないレベルで無数の巨大ダムを作ってきたわけで。そうした『ツケ』を一部の人びとに押し付けた上で、それ以外の大多数に安い水を提供する。
――さて、ここで皮肉なのは、では水道料金値上げがそうした方策に反するのかというと、必ずしもそうとは言えない状況でもある点であります。
つまり、世界第二位の経済大国となるまでに経済成長を果たした中国さんちにおいては、もう多少の水道料金値上げが「先に豊かになった」富裕層にとってはほとんどダメージとならず、一方で置いていかれた後発組の貧しい人々こそがそうした水道料金の値上げの経済的ダメージが致命的になる。こちらも水資源管理の研究ではずっと言われているお話ではありますが、値上げによって最も大きなダメージを被ることになるのはそうした貧しい人たちなんですよね。だからこそ、水道料金というのは高すぎても低すぎてもデメリットが大きくしばしば議論の難しいお話となるのです。
でも、現代中国にとっては、まさにタイトルのような毛沢東の言葉を推し進めることができるチャンスでもある。必須インフラである水道料金値上げという経済的ダメージを食らう「一部の」貧しい人たちは尊い犠牲として、中国全体の経済成長に必要な安価な工業用水や農業用水を確保するのだ、なんて。その意味では、今後も中国さんちが格安の水道料金が維持されていくのかというと、やっぱりそれもないだろうなぁと。
別に環境を考慮したからとかそういう理由ではなく、単純に農業用水資源や工業用水資源を守る為にこそ、一部の人びとを犠牲とする構図ができつつあるから。


こうした点を考えると、仮に値上げをしたとしても、やっぱりいつもの「一家族を犠牲にして、一万家族を救え」な中国的風景ですよね。