ユートピアとオルタナティブ不在の時代に生きて

まぁ別にこんなの日本に限った話ではないんですけどね。


日本のリベラルが考えるべき8つのこと WEDGE Infinity(ウェッジ)
左翼はなぜ力を失ったのか すがるのは「民主主義」、保守に対抗できる価値観が欠落:JBpress(日本ビジネスプレス)
ポジションは違えど両者が揃って同じような結論を述べているのは――もちろん「リベラル」と「革新」は正確には定義は違うものの――それなりに同意できるお話であるし、また愉快なお話だなぁと。左派、革新、リベラルの皆さんのレーゾンデートルについて。対立軸が打ち出せず、故に自身の存在意義を証明できない。左右の対立が『脱イデオロギー化』したとされる冷戦終結の時代からずっと言われ続けているお話ではありますよね。
――で結果として本邦では「反自民」なやり方でしか支持率の浮揚ができなくなってしまうと。まぁ実の所かなり「何でも屋」な自民党に対してはそうするしかなかったのも理解できるお話ではあります。
世界的な財政再建ブームからのリフレ政策への転換。タイミング的には前回民主党政権時には大転換の最良のタイミングであったはずなのに、しかし彼らは(政権獲得した「からこそ」党内意見を統一できず)それができないまま、結局(政権奪回というタイミング「でこそ」党内反対の声を押し切った)安倍さんにその役割を奪われてしまったっていうオチ。
結局彼らは「非自民」の言葉が示す通り「名前が自民党でない」ことでしか存在意義を示せなかった。




ともあれ、まぁ選べたはずの経済政策の失態は同情できないものの、一方で人権外交やあるいは安全保障政策という面では「孤立した」日本では自民党のやり方以外での違いを出せないのは仕方ない面もやっぱりあるのだと思います。そもそも選択肢がないから。

 第2は、人権である。日本のリベラルは、日本の人権侵害には敏感だが(ただし、後述するように、本気でないと思われるところもある)、旧共産圏諸国と途上国の人権侵害には鈍感だった。

日本のリベラルが考えるべき8つのこと WEDGE Infinity(ウェッジ)

「アジア的優しさ」とか「地上の楽園」とか「拉致被害者などいない」とか「東アジア共同体」とか。実際、こうした本邦リベラルな人たちの特定方向への「甘さ」という側面はよく語られるお話ではありますが、少なくともある時期まではこんなの別に日本に限ったお話ではなかったわけですよね。
それこそ冷戦中期――70年代半ばまではヨーロッパでも極々当たり前に共産圏(社会主義)諸国の幻想というのは信じられてきたわけです。ところが70年代から『収容所群島』『アフガニスタン侵攻』『ポルポトのジェノサイド』等々で、徐々に東側の実態が明らかになることでヨーロッパでも根強かった幻想は打ち砕かれていくのでした。そんな社会主義幻想の反動としてサッチャーさんが登場したりして、そこからまた更に反動が生まれ、かくして徐々に左右のイデオロギーの違いは消失していく。
そうしてどこでも保革収斂がやってくる。
社会民主主義自由主義化であり、自由主義社会民主主義化。競争・自由化・規制緩和・成長・福祉・環境・分配・均衡などなど、それらを唱えるのに左右の違いはなくなった。先日も少し書いたようにアメリカ大統領選挙でも、あるいはヨーロッパの議会選挙でも状況は似たり寄ったりで、こんなのどこの国だって同じ状況だったのです。リベラルも保守も中道化するしかなかった。


ただ、それでも幸運にもヨーロッパは欧州連合の統合深化の是非という難題があったし、同時にそんな地域同盟の存在がもたらす外交政策の選択肢(欧州連合をカウンターにおいての対米政策の幅)という議論があったのです。彼らはその欧州連合を基礎にしての独自外交が可能となっていた。まぁその傲慢さがユーゴスラビア崩壊での大失態に繋がったりするんですけども割愛。この辺は最近のウクライナ危機に連なる面白いお話なので今度書きたい。
――ともあれ、ところが一方で、私たち日本にはそんなものなかったわけで。追米以外に選択肢=アメリカ以外に頼りにできる同盟国が周辺にあったのかというと、そんなものありはしなかった。
その意味で見れば、自民党と違いを出そうとするリベラルな人たちが特に周辺国の人権侵害に強く出れないのは理解できるお話だとも思うんですよね。だって彼らにとっては周辺国というのは非難の対象ではなくむしろ同盟とすべき国だったのだから。故に彼らの人権意識はひたすら内に向かっていくしかない。別にそれ自体が悪いとは絶対に言えませんけども、一方でやっぱりそんな二重基準なやり方が多くの人たちから疑念を向けられるのは当然のお話ではあるのでしょう。海の向こうの苦難に陥る人を無視しながら、ひたすら自国のそれだけを取り上げるというのは、ただ反日とか売国とかそういう問題以前に、そもそも人権重視という価値観が持つ普遍的善意それ自体として信用されなかった。
前々々首相な人が言っていた『東アジア共同体』構想というのはその象徴なのでしょう。確かにそれは彼が同時に唱えていた「離米」とワンセットなのです。それさえあればヨーロッパのように、アメリカ依存ではない独自外交が可能となるかもしれないし、引いては自民党との違いが強調できるかもしれない。故に周辺国の悪弊は多少無視しよう。でもそれって公共倫理から経済政策までヨーロッパ的な「正しき」やり方を押し付ける欧州連合とはまったく真逆な考えなんですよね。
こうした点を考えると、やっぱりあの途方もないプロジェクトを無邪気に信じる人って、実はひたすら自国の都合のみ考えた自己中心的な考えなのが透けて見えてしまうよなぁと。東アジアが独自にやっていく為に、とか言いながら、実の所日本の国内都合からそう言ってるだけ。欧州連合のように何か中心的な価値観があるのかというと、日本国内での「非自民」と一緒で、「非アメリカ」という点しかない。
この構図は現在「平和主義」を押し出す上でも伝統的な自民党外交政策との違いをほとんど出せないジレンマとなっているのでしょう。


日本の地政的孤立がもたらす――唯一超大国であるアメリカはともかく――ヨーロッパ諸国と比較しても更に選択肢がない状況。まぁそれは同情すべき不運であるとは言えるかもしれませんね。故に日本ではより一層「理想も代案も不在」が際立つことになる。
民主・岡田氏「政策より非自民を優先」 次期衆院選の候補者調整 - 産経ニュース
再び「非自民」が存在意義となる民主党も、こうした状況を考えればまぁ仕方のない話なのかもしれないなぁと。だってそれ以外に選択肢はほとんどないのだから。


みなさんはいかがお考えでしょうか?