車無しで生きていくには老後はあまりにも長すぎる

長寿と運転を!


「高齢者の運転」による事故を減らすにはどうすればいいのか? - GIGAZINE
コンビニへのダイナミック入店等の問題について。

登校中の女子高生2人が85歳の男が運転する車にはねられ重体となった事故が2018年1月9日に発生しました。75歳以上のドライバーによる死亡事故は2016年で459件もあり、免許の強制返納の仕組みが必要だという声もあります。アメリカでも日本と同様に高齢ドライバーの事故が問題視されていますが、科学系ライターのJoseph Strombergさんは「これは高齢者の責任ではなく、車を中心とした交通機関がこのような事態を見落としていたからだ」として、「高齢者の運転にかわる代替案」を提示しています。

「高齢者の運転」による事故を減らすにはどうすればいいのか? - GIGAZINE

「見落としていた」というか、私たちにとって本来はひたすら寿ぐだけでよかった『長寿化』の弊害。その典型例の一つという感じだよねぇ。もちろんこうした「老いた人びとの扱い」というのは人間社会にとって昔から、単に光の面というだけでなく姥捨て山といった闇の面まで色々あったワケではあります。しかしそれがあまりにも一般化と長期化した為によりマクロなレベルで何か決定的な思想・政策転換を求められるようになってしまった。
現代日本における最重要の課題といってもいい年金や医療費などの社会保障費の問題だって、単純に一人当たりの量が増加云々というのでなくて、むしろその平均余命の長寿化による増大こそがそのコストの圧迫を受けているわけだし。
長く生きるということは、長く支えるということである。


今回のお話もそれと同様で、平均余命があまり長くなかった時代には比較的容易に通り過ぎることができていた(解決したとは言ってない)問題が、長寿化によってその問題を無視することができなくなってしまった。個人で対応するようなレベルでは収まらなくなってしまった。いらっしゃい高齢化社会
長く生きるということは、長く運転するということであり、そして運転できなくなった後も長く生きるということである。
老人たちの(必然的に劣化していく)運転技能にどう対応すればいいの?


交通難民への対応策について。なのでこうした問題の解決策は、それこそ最近の本邦で言われる「免許返納」ではなく、よりマクロな高齢でも運転できるようなシステムあるいは運転せずとも済むシステムの実装しかないのはその通りでしょう。開発競争が進む自動化運転の潮流と合ってるしね。
ただこうした退職者な高齢者たちの「足」として自動運転が優先して一般化するのかというと、うーん、まぁ、そうねぇ。優先されるなら今ある交通難民の問題だって少ないはずなのだし。
ポジティブな面を考えれば、高齢化社会での老人たちの声の大きさから、普段なかなか進まない規制緩和も進むかもしれない。それってつまりそのまま有権者層として支配的な地位にある老人たちのパワーの証明でもあるんですけど。素直に喜んでいいのかちょっと困るよね。


伸びた寿命の分だけ、その為に支払うリソースも増えることになるという当然の帰結。それを「見落としていた」と言ってしまうと『合成の誤謬』というか、人類社会と長寿について色々考えてしまうお話じゃないかと思います。そりゃ若者も萎縮する他ない。
かといってまさか「より早く死のう!」なんておおっぴらに言えるわけもなく。でも内心そう考えている人たちは実は結構居たりしそうだよね。


Long live and drive!