そろそろ考えるのをやめる頃合い

そしていつもの「過ちは繰り返しませんから」パターンへ。


IS人質殺害事件:日本国内評論を総括する 日本は間違いなく標的の1つ〜一神教の研究(その9):JBpress(日本ビジネスプレス)
概ね同意できるお話かなぁと。今回も教訓を活かせるかというと以下略。
まぁ今更と言えばやっぱり今更なお話ではあります。宮家先生が仰っているように、こんなことはイラク戦争の時からやっておくべき議論であったわけで。でもあの時の私たちも――まさに今の『イスラム国』相手にそうしようとしているように――そんなことは遠い海の向こうの出来事であって他人事であり例外状況である、というポジションを本質的に変化させようとはしなかった。
グローバルな世界で生きる以上、日本という国家にとってもそして日本人にとっても絶対に無関係や人事ではいられないはずの外国で起きた問題に対して、私たちはどのような関与をどれだけするか、についての複雑怪奇な中東政治や血も涙もない安全保障の現実を見た上での議論を続けるだけの覚悟や集中力などなかった。
しかたないよね。だってよくわかんないもん。

 それにもかかわらず、2004年以来、日本内外の日本人の警備は十分か、仮に不十分ならば、どこまで警備を強化すべきか、そのために国内では基本的人権の一定の制限を含め、如何なる法的措置をとるべきか、などについてはほとんど議論されてこなかった。こうした傾向は今もあまり変わっていないようだ。

IS人質殺害事件:日本国内評論を総括する 日本は間違いなく標的の1つ〜一神教の研究(その9):JBpress(日本ビジネスプレス)

あのイラクの時もアルジェリアの時も、日本が何か積極的に選択をした、という構図では絶対になかったわけですよね。ああして前回も人質が首を斬られたものの、その後にあったのはやっぱりただなんとなく現状で出来る限られた範囲=それっぽい事を言うだけ。何かしら具体的な方向性を打ち出せない政権と、答えを出すように圧力を掛けなかった野党と、それを問題視しなかったマスコミと私たち世論のそれぞれによる美しき共謀。
ただ単に考えるのをやめ、そしてまた再び考える機会が生まれているだけ。
実際この期に及んでも「シリアとイラクの『イスラム国』とは関わるべきではない」なんて真面目に語られていたりするのを見ると、その構図は未だ変わっていない、というのはやっぱり同意するしかないお話ではあります。あの時のイラクから今のシリアでもそうであるように、結局のところ日本で行われる政策議論の大部分は、シリア(イラク)をネタにした上でそれぞれ自身の政治的主張に利用しているだけっていう平和な風景。
「何も出来ないから」何もしないならばまだマシで、「何も決められないから」何もしないという日本の国内議論の現状について。


その意味では、「自衛隊救出派遣」なんていう(かなりの)極論が出てきたのは、少なくとも対応策=選択肢の一つが議論されるようになっただけ少しだけマシなのかもしれません。
中谷防衛相:「自衛隊に人質救出能力」法整備に意欲 - 毎日新聞
ただまぁ端的に言って、その軍派遣の是非はともかくとしても、自衛隊による救出なんて法整備だけでなく10年単位で自衛隊を「そのように」訓練し装備が無ければ不可能である以上、まぁかなり現実味の薄いお話だよなあと思っていますけど。ぶっちゃけ無理だよね。何も議論にすらならないよりはマシかもしれませんけど、これはこれで正直どうかなぁと。


果たして今回の人質事件もまた、毒にも薬にもならない曖昧で無色透明なことをなんとなく言うだけで終わってしまうのか。いやまぁ精神論大好きな日本っぽい結論ではありますけど。
みなさんはいかがお考えでしょうか?