他者からよく思われTai!

サトジュンの一番はやっぱこれ派。


元外交官・孫崎氏「集団的自衛権は、自衛隊をアメリカの戦略のために使う制度だ」|弁護士ドットコムニュース
うーん、まぁ、そうね。そうする人も少なくありませんが、もちろん僕なんかに日本国首相である彼の内心を知る事なんてできるわけありませんので、例によって例のごとく以下適当なお話。

孫崎氏は「積極的平和外交は、日本が戦争に行くということだ」「集団的自衛権は、自衛隊アメリカの戦略のために使う制度だ」「安全保障を自分の頭で考えていない。アメリカに奉仕することだけ考えている」と持論を展開しつつ、政府の姿勢を批判した。

元外交官・孫崎氏「集団的自衛権は、自衛隊をアメリカの戦略のために使う制度だ」|弁護士ドットコムニュース

よく彼の持論である戦後レジーム転換についての矛盾なんかが言われますが、対米追従や修正主義云々というよりは安倍さんひたすら他国からよく思われたい=国威発揚主義なだけだと個人的には思うんですよね。上記で指摘されているようにそこに対アメリカな要因があるのは間違いないものの、だからといってアメリカ以外が視野に入っていないかというとそれも違うよなぁと。
むしろ日本を、(アメリカ含む他国から)尊敬される国にしたい、という方が自然じゃないかと。もちろんそれはそれで行き過ぎればまさに戦前の足音として十分にアレなんですけども、ただそれ自体は人類普遍の願望ではあるでしょう。他人から、他国からよく思われたい。そうした意識こそが、社会における暗黙の規範を定めている要因もやっぱりある。
だからまぁいつだって「目的」よりもその「手段」が問題となるんですけど。


慰安婦問題 「日本の政治家として恥ずかしい」=岡田代表
この辺は安保法案の議論でもしばしば聞かれる「日本の戦後平和主義の国際的評価が〜」や、あるいは先日の岡田さんの韓国での「日本の政治家として恥ずかしい」なお言葉を見てもしみじみ思うんですが、やっぱりそれって上記安倍さんのそれと基本的には同じ地平にあるわけですよ。
家族として恥ずかしい。友達として恥ずかしい。同じ政治家として恥ずかしい。同じ日本人として恥ずかしい。
まぁよく聞かれる言葉ではありますよね。そんな風に、自分だけでなく、自分の家族も、企業共同体も、地域共同体も、国家共同体も「良く」思われて欲しいというのも概ね素朴な感情として無視できるものではない。そんな威信に関してこだわりの強弱や帰属感広がりの大小はあるにしても、自分や自分の属する共同体が、まったくどう思われてもいいというのはよっぽどの変人だけでしょう。


社会的動物な私たちだからこそ、他人の評価を気にせずには生きていけない。
――つまり、他者からよく思われたい、と思う気持ち。


その意味で言えば安倍さんのそれと同じく、日本の平和主義の国際的評価を殊更に持ち出す人や、あるいは日本固有とされる価値観(文化や平和憲法被爆国なんかを強調するポジションも概ねこれに近い)を強く訴える人って、これはこれでやっぱり「国威発揚」の一形態なんですよね。まさに自国を、他国から好感を集め尊敬されている状態にしたいと願う素朴な人たち。
話題のオリンピックにご執心な人たちもこんな感じですよね。冬季オリンピックで再び招致成功した中国や、日本の政治家の一部も素朴にそう信じている。まさにこれこそが自国威信を国際社会にあまねく知れ渡す絶好の方策である、なんて。
安倍さんは安保法案で日本が国際社会の平和と安寧に貢献することが「日本の威信」を高めると信じているし、逆に反対派の人たちの一部には(もちろん全てとは言いませんが)それが「日本の威信」を損ねると反対するし、(直接利害関係にある当事者たちはともかくとして)オリンピックに招致に熱心な一部政治家たちは招致が自国威信を高めると確信している。


他人によく思われたいと望む人たち。軍事力か、経済力か、文化それとも幸福度か、どちらにしてもそれを誇るという意味では同じなんですよね。故に国威発揚主義者たちは似た顔をしている。
やっぱりそう願うのは人類共通の願望ではあるのでしょう。しかし、だからこそ、それは厄介でもある。実際暴走しちゃった経験があるわけだし。


みなさんはいかがお考えでしょうか?