拡散防止すれど減少せず

いやまぁ最近のイランなんかを見ると、かなり前者もかなりギリギリなんですけど。


70回目の「原爆の日」、広島で平和記念式典 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで「あれから70年」だそうで。


まぁ実際の所、そのシンボルとしてはともかく、『核兵器』って単体で見ればそこまで威力の大きな兵器じゃないんですよね。広島長崎のだって決定的に非人道性が言われるのはそもそも無防備な都市攻撃に使ったという点にあるわけだし。少なくともその点で言えばあれば蛮行だったのは議論の余地がない。それこそ身も蓋もなく米ソの保有量が証明しているように、結局のところ「いっぱい」持ってなきゃ(政治的にはともかく)軍事的には意味がない。かくしてただ『抑止力』だけでなく安定した第二撃を第三撃を第四撃を、と増やしていくうちにあんなバカげた量になっちゃうわけですけど。
核兵器拡散防止は70年でどうにかこうにか維持(5→8)出来ても、しかしその根本的正当性を担保するはずの「減少」はおざなりにされ続けている。

式典では、原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘が鳴らされ、参列者が黙とう。広島市の松井一實(Kazumi Matsui)市長は、平和宣言の中で「『非人道性の極み』、『絶対悪』である核兵器の廃絶を目指さなければならない。そのための行動を始めるのは今だ」と訴えた。(c)AFP

70回目の「原爆の日」、広島で平和記念式典 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

その意味で言えば、『非人道性の極み』『絶対悪』と核兵器の例外性を訴えれば訴えるほど、逆に核兵器の廃絶には遠ざかってしまうのが核廃絶のジレンマだよなあと。まさに核兵器が代替不可能な兵器だからこそ無くすことができないわけだから。核兵器の持つ唯一例外性。代わりのものがあればよかったのにね。いやでも代替可能ということはそれより高スペックだということを意味してもいるので、無くてよかったと言うこともできてしまうかもしれない。


がんばれ人類。