現代国際社会において『人道的介入』へと至る道を舗装するもの

悲劇に酔った世論が舗装する道。


欧州の「無関心」と「誤解」が、難民を苦しめる | グローバルアイ | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
ドイツに国境を開けさせた幼いシリア難民の死 知性と教養、人間性が問われる問題に日本人も直面している | JBpress(日本ビジネスプレス)
まぁ概ね同意できるお話ではありますが、しかし必ずしも私たちが「無関心」でなくなることが単純に良い結果だけを生むわけでもないのが、このお話の難しい所だよねぇと。

ドイツでは今年1年間だけでも80万人からの難民申請が見込まれるとのこと、大きく言って100万規模の人間の移動になり、決して小さな話ではありません。

 が、逆に考えてみましょう。この100万規模の「国境を超えて逃げたい」人々が、すべて追っ手によって生命を脅かされ、あるいは命を奪われるなら・・・。

 ホロコーストもジェノサイドも決して遠い昔の話ではなく、ルワンダコソボもついこの間の出来事、私たち自身が判断し、適切に対処し、グローバルに人道的な共存をいかに実現していけるか、その倫理が問われているのにほかなりません。

ドイツに国境を開けさせた幼いシリア難民の死 知性と教養、人間性が問われる問題に日本人も直面している | JBpress(日本ビジネスプレス)

それは単純に無関心でなくなるということは必然的に「誤解」の生じる余地が大きくなるという意味でもあるし、さらに問題なのは、当然の帰結として、無関心でなくなった私たちが最終的に求めるのは素晴らしい『解決』でもあるわけだから。かわいそうな難民を助けるために受け入れる。では次は(負担を背負う自分たちの為にも)根本的解決の為になにかしよう。
そして根本的解決が意味するモノと言えば……。


上記リンク先のアンリ・レヴィ先生のように素朴に救済を願う人たちが無関心でなくなることを望むように、また別の人たち=武力介入を望む人たちもまた世論が関心を持つことを望むんですよね。それは後者の彼らにとっても必要なものだから。

元々ニュースにすらならなかったはずの悲劇は、偶然かやらせか画になる「かわいそうな犠牲者」を得ることで世論の大注目を集め、そしてその声は必ず「救済の声」も生む。それと同時にやってくるのは事態における「非道な悪者」の設定であり、最終的には人道危機解決の為にと「かの悪者を放置することは不正義である」という大義名分が語られるようになる。
かくして危機は演出され、人道的介入という名の武力行使が容認される。

冷戦以後顕著になった(西側中心とした)国際社会の軍事介入パターンって差異はあれど、基本的にはこのパターンを辿るわけですよ。湾岸のイラク然り、ユーゴスラビア然り、ソマリア然り、アフガニスタン然り、リビア然り。
もちろん武力行使を元々望んでいた人たちが居たのは確かでしょう。しかし、同時にまた、そうした攻撃を容認する空気を生み出したのって世論の後押しでもあった。それこそ今では散々な愚行扱いされる第二次イラク戦争だって、当時は――少なくともアメリカ国内的には、賛成が大多数だったように。


最近の本邦で楽しそうにデモってる人たちはほとんど無視していますけど*1、まさに私たちが民主主義国家である以上、政府は良くも悪くも世論が生み出す『空気』を気にしないわけがないんですよ。
どんだけ政府中枢が軍国主義的性格を持っていても当の国民世論がそれを容認しなければ実行などまず不可能であるし、逆にどれだけリベラルを自称する政府であろうと国民世論がそれを望めばそうした方向へ進まざるを得なくなる。


こうした構図を念頭に置いた上で、最近トルコで撮られたあの出来のいい「男児の溺死死体」を見て内心少し嫌な予感を抱いた人は少なくなかったんですよね。まさにあれで欧州世論は動かされ無関心から脱し、確かに難民受け入れの機運は高まった。
現代社会における悲劇なストーリーを「でっち上げる」ことのインセンティブ - maukitiの日記
この辺は何度か書いてきたお話ではありますが、しかしそうした関心が行き着く先というのは――しばしば実際の現実とはかけ離れた――解りやすく単純化された報道によるイメージとして想像された現実とは異なる似て非なる「悲劇」でもある。
(多分にイメージとして誤解を含みながら抽象化象徴化した)危機を見た私たちが素朴に願うのは政府に対する問題解決要請であり、そこに悪者設定なんかが上手くいってしまうと、将来起こるかもしれない軍事介入容認への第一歩へと至ることになる。


少なくとも民主主義国家においては、武力介入への道は世論の関心こそが舗装する。その意味では、今回の難民受け入れという世論によって(可能性として存在する)一度は潰えたシリア介入への第一歩が今また踏み出されたことは、たぶん、おそらく、まちがいない。それが幸運なことなのか不幸なことなのかはわかりませんが。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:いやまぁもしかしたら心底暴走しやすい日本の国民世論を信用していないのかもしれませんけど。確かにちょっと同意します。しかしそれを信用しないと言うことは、民主主義の否定への第一歩でもある。