昼間は新聞編集者、夜は悪を退治するしばき隊とか、アメコミのダークヒーローかな?

「盲目」という所まで真似しなくてよかったのにね(デアデビル感)


上越支社報道部長が中傷書き込み|社会|新潟県内のニュース|新潟日報モア
新潟日報部長、水俣病弁護団長をツイッター中傷 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
「しばき隊」構成員(実は新潟日報上越支局長)が新潟水俣病弁護団長に暴言→身元を割られ謝罪文を書かされる | ガジェット通信 GetNews
そういえばなんか面白愉快な大騒動になっていたそうで。

これについて高島弁護士が「不確かな情報を流すのはやめてください」「まぁ、兎も角、私のケータイに電話をかけてきて下さい。」と穏便に抗議したにも関わらず、壇氏は「いやだね。なんで、そんなクソハゲと電話で話す必要あるわけ?お前、Twitterで論争かけてきたよね?不利んなったから電話はないわ。クソが。」「うるせーな、ハゲ!はよ、弁護士の仕事やめろ。プロのハゲとして生きろ。ネトウヨ弁護士。いい加減にしろ!そんな調子で、血のにじむような覚悟で三次訴訟に臨んだ原告のためになるのか!クソ馬鹿ハゲ野郎!」と、およそ新聞社の管理職とも思えない文言で罵倒を連呼。それを止めに入った他のツイッターユーザーにも「くそじじい」「この低脳。はよ、死ね。」などと誹謗中傷を繰り返した。

「しばき隊」構成員(実は新潟日報上越支局長)が新潟水俣病弁護団長に暴言→身元を割られ謝罪文を書かされる | ガジェット通信 GetNews

うーん、まぁ、そうね。なんというかネットで見る分には、アレがアレ過ぎる「あっ……(察し」な人というだけで終わるお話ではありましたが、見事にブーメランが突き刺さってその中の人の素性がバラされてしまった顛末と、結末を見るとまぁ炎上するのもよく解る愉快すぎるお話。
個人的には単純に社会運動家の暴走の是非というだけでなく、新聞社の中の人の資質及びその不祥事の際の対応、という所までコラテラルダメージが広がっているのが興味深いなぁと。これ主要紙で同じ事やったら行き着くのは椿事件とかそういうお話になってしまいそうなので、おそらくマスコミの皆さんにおいては全力で切断処理へと突進すると思われるので、その辺の様式美っぷりを楽しめばよろしいかと思います。。
身も蓋もなく言ってしまえば、よくある「正義感の暴走した果て」というお話で終わるお話ではあるかなぁと。それこそ身内でやっているようなノリを公共の場に持ち込んで醜態を晒す、という点では以前もネタにしたアイスケースに入り込んだり調理場で悪ノリするアルバイトと同じ地平にあるのでしょう。
おそらく、彼は普段からああしたノリで罵倒して身内で喜んでいて(それ自体の是非はさて置くとして)、それがそのままtwitterで同じことをやってしまった、というだけ。やっぱり万引き自撮り動画を晒したり、あるいはオイルマッチ生放送で自宅炎上した人たちと同じレベルのバカなのだろうなぁと。




ともあれ、まぁこうして暴走できるだけの確信を持てる彼は、ある意味でやっぱり幸せな人だよなぁとは素朴に思います。100歩譲って好意的に見ればその「反ヘイト」という理想は理解できるものの、かといってやっぱりそれは究極的には言論や表現の「自由」とコンフリクトするわけですよ。
独の移民反対集会でベートーベンが流れ……しかし警察は - BBCニュース
最近も反移民集会妨害の是非について騒動がありましたけど、そのラインをどこに引くのか、という万人が納得できる正解について、ぶっちゃけ21世紀に至ってもまだ人類は未到達だと言っていい。
――それなのに容易に確信を持てるなんて人類史に名を残すほどの天才か聖人か、それともただ思慮の欠けたバカでしかないでしょう。
実際、この議論の基礎にある二つの自由である消極的自由と積極的自由についての考察で有名なアイザイア・バーリン先生なんかは『理想の追求』の中で絶対論的・理想論的な解決を追求する人を批判しています。なぜなら人間社会にある諸問題――まさに上記「自由」の事例のように――の真理とは、しばしば両立することができず、だからこそ私たちはどこかで譲り合わなければならない、と。


規則・価値観・原則は状況に応じてそのラインは異なるにせよ、どちらにしても譲り合おうとする謙虚さがなければならないんですよ。自身の信念を曲げることでもある以上、そうした行為は多くの場合苦渋の選択であります。私たちが理想を実現する際に必要なのは、その痛みを相手だけでなく自身も引き受けることなのです。その痛みに自覚的にならないまま、ああして暴走できるのはホント幸せな人だよなぁと。
「どのような優先順位も常に絶対ではない」と言ったバーリン先生だけでなく、日本で一番有名なかのドイツ少佐なんかも言っているように、自分の選んだ神が正しい、という保証はどこにもないのだから。


だからこそ、私たちはその間でバランスをとらなければならない。それを失ってしまうと、彼のように自らこそが正義であると盲目の怪物になってしまうから(ここでタイトルのネタ回収)


みなさんはいかがお考えでしょうか?