「ニュースとは何か?」という議論において歴史の正しい側に立つのはどちらだ

あるいは現代社会における多文化主義のむつかしさ、について。


「新華社は中国宣伝機関」米、貿易以外でも圧力 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
米国、新華社など2社を「共産党宣伝機関」と認定 取材に制限科す可能性|ニフティニュース
米司法省、新華社に登録命じる 予算や支出報告義務に:朝日新聞デジタル
貿易政策に限らず、対中というポジションを徐々に強化しているアメリカであります。
面白いのは、こうした一連の対中政策の変化がなにもトランプさんの独断、というわけではなくて、むしろ議会全体の方向性としてそうした流れが生まれている所ですよね。さすがに一気に貿易戦争まで行くのはやり過ぎではあるものの、しかし中国への警戒感を強めるのは決して間違っていない、という一般通念へ。トランプさんが選挙介入問題でプーチンさんにうっかり半端な態度を見せたことが国内的に強く批判されることになった事を考えると、まぁ面白い構図ではあるかなあと。表層的なトランプ旋風というだけにとどまらない、アメリカ国内にある長期的トレンドとなっているのか。

 【ニューヨーク=吉池亮】米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は18日、米司法省が中国国営の新華社通信を中国政府のために宣伝活動を行う機関だと認定し、外国代理人登録法(FARA)に基づき、登録するよう命じたと報じた。トランプ政権は中国製品を対象にした制裁関税を相次いで発動しており、貿易分野以外でも中国に強硬姿勢を示して圧力をかける狙いがあるとみられる。

「新華社は中国宣伝機関」米、貿易以外でも圧力 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

ロシアのRTとか、中国や北朝鮮のほとんどすべてがそうですけども、もちろん彼らは「やりすぎ」という批判は間違っていないでしょう。政府の代弁者としてのメディア。



ただ、これは別に新華社のような中国メディアに限った話ではなく――いやもちろんどのくらい政府の対弁者であるかの『程度』という問題は非常に重要でもあるんですけど――世界的メディアでもあるBBCやAFPだって、程度の違いだけでほとんどどこでも同じお話でもあるんですよ。それは何も自発的に政府へ配慮しているからという単純な要因からではなく、そもそも違う文化圏で生きている人たちがそれぞれ異なる文化的フィルターを通してニュースを報じているんだから、異なる視点から異なったニュースが生まれるという必然の結果でもあるんですよ。
いや、むしろそうした異なった視点から報じているからこそ国外ニュースに意味がある、というのは正論すら言える。
RTや新華社を見てロシアや中国政府の思惑を推測するのは当然であるように、BBCやAFPを見てイギリスやフランスのポジションを考えるのだって専門家・研究者からすれば当然でしょう
なのでやっぱりこれって程度の問題でしかないんですよね。もちろん日本のマスコミにも、そういう面がないわけでは絶対にない。ただこのグローバルな時代において、上記のようなホンモノが堂々と『報道』扱いされているのを見ると、まぁ日本のなんて小物でしかないよね。



結局「中国政府のために宣伝活動を行う機関」だという指摘が意味しているのは、つまるところ中国という文明・社会・国家においてそもそも『ニュース』とはそういうモノである、という文化的相違のお話でしかないんですよね。そこでは上記でも触れたように社会によってニュースが各々異なる視点で作られているというだけでなく、そもそもニュースを発信する目的からして違う、ことがあることを示している。
――堂々とそこで「我々のニュースの定義こそ唯一絶対の正義である!」と言うことができたら、楽に生きることができたんでしょうけどね。しかし少なくとも建前としては多文化主義を奉じる私たちにとってそんな傲慢なことを堂々と言うのもむつかしい。あるいはもしかしたら100年後には、そうして中国的報道こそがスタンダードになっている可能性だってある。


何が正義であるか、何に正統性があるか、というだけでなくニュースを報じる意味が何かという所ですら、所謂『報道の自由』な西欧的価値観を信じる私たちとは別の所で中国は生きている。
そしてアメリカはそんな中国的価値観を拒否している。だからこのお話って対中強硬というだけでなく、多文化主義の限界という構図でもあると個人的には思うんですよね。これまでは我慢できていたそれが、しかし超大国アメリカのライバルとして堂々と名乗りを上げ始めた中国の影響は他と同等に扱うには多すぎると。
現在進行形で私たちが目撃している、ヨーロッパのイスラム系の台頭とそっくりそのままに。
ザ・文明の衝突


はたしてヨーロッパはどうするんでしょうね? そして私たち日本は?
報道の自由』がない中国メディアには、私たちの国でも『報道の自由』を与えないことを是とするのか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?